大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にあわせて開催している「北条氏展」第三弾は、義時にスポットをあてています。4代にわたる鎌倉殿に仕え、初代頼朝、2代頼家の時代に活躍の土台を築きました。
しかし義時に関する資料はあまり残っていません。現存する工芸品や、仏像、絵画から、鎌倉の美意識を探ります。頼朝と頼家の時代、武士たちはどのような美を愛で、どのような神仏に祈りを込めたのでしょうか?
鎌倉幕府初代将軍源頼朝
初代鎌倉殿の信頼も厚く「家子専一」と評された義時。鎌倉幕府の基盤を作りましたが、大きな動きはありませんでした。頼朝時代の工芸品や絵画などを通して、義時が見ていた時代の空気に触れてみましょう。
鎌倉幕府初代将軍源頼朝 展示風景
今回、一番の注目は、甲斐善光寺の頼朝像。修復を終え玉眼が入り国宝館におでましです。鎌倉時代に造立されたことが確実で、真の姿に近いとされています。
源頼朝坐像 鎌倉時代 善光寺
第二代将軍源頼家
頼朝のあと18歳で将軍職を継ぐこととなった頼家。13人の合議制に支えられ職務を遂行しますが4年で殺害されてしまいます。この暗殺の指示をしたのが義時とも言われ、人物像に暗い影が落ちていきます。頼家の時代の、工芸品や絵画を紹介。
第二代将軍源頼家 展示風景
頼家像(7/23~)や頼家袖半下文、栄西禅師像。
展示風景
右側は、源頼朝が東大寺の手向山八幡宮から贈られたと伝わる菩薩面。慶派仏師の手によるとみられます。左の軸は高僧の肖像画。
展示風景
鎌倉殿と仏
北条義時の在世に立った4名の鎌倉殿は、各々が仏像や仏画を制作させ祈りを込めました。名品のうち鎌倉前期に造立された仏像を中心に展示。鎌倉の造仏の主流は、運慶ら慶派仏師であったことが伺えます。実慶や快慶の仏像も集結しました。
養命寺の阿弥陀如来及び両脇侍像の様式は、構造技法から運慶周辺仏師の作であることがわかります。
薬師如来及び両脇侍像 鎌倉時代(中尊のみ建久8年(1197)) 養命寺
実慶作の仏像が2躯、伊豆よりお出ましです。慶派の中でも伊豆国に在地し活動した有力な仏師と考えられ、運慶の造仏に参加しました。
修善寺の本尊、大日如来坐像。本尊の像底を一段高く彫り残す技法は運慶と共通しています。保存修理の際、像内から女性の毛髪が発見され源頼家の室、辻殿のものと解されています。
大日如来坐像 鎌倉時代 承元4年(1210) 実慶 修禅寺 7/5~8/21
写真右は、かんなみ仏の里美術館の阿弥陀三尊像。張りのある明快な造形は運慶の作風に類似し 『運慶願経』 奥書に実慶の名を連ねています。
(右)阿弥陀如来及び両脇侍像 鎌倉時代 実慶 かんなみ仏の里美術館 (左)阿弥陀如来及び両脇侍像 鎌倉時代 光触寺 7/2~8/4
左の光触寺所蔵、阿弥陀如来及び両脇侍像は、鎌倉時代前期作で運慶風です。
運慶由来と考えられる仏像が2躯、左は快慶作です。
(左)菩薩坐像 鎌倉時代 建仁元年(1201) 快慶 伊豆山浜生協会 (中央)文殊菩薩立像 1軀 鎌倉時代 阿弥陀寺 (右)薬師如来坐像 1軀 鎌倉時代 東光禅寺
身内でも戦いを余儀なくされた鎌倉時代。頼朝が仏に祈り仏像を造らせたことが、運慶一派が東国で活躍する一因とも思われ、リアルな作風の仏像を生みました。この小さな展示空間に、義時の時代に活躍した仏師たちの息遣いが満ちているようです。
[ 取材・撮影・文:コロコロ / 2022年7月8日 ]
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