20世紀前半に活躍した女性画家、マリー・ローランサン(1883-1956)。画家や彫刻家だけでなく、自作詩の発表やバレエの舞台装置や衣裳のデザインなど、ローランサンの活動を多角的に紹介する展覧会が、アーティゾン美術館で開催中です。
アーティゾン美術館「マリー・ローランサン ―時代をうつす眼」会場入口
会場は序章からはじめまり、7つの章で構成されています。
画家を志したローランサンは、パリの美術学校であるアカデミー・アンベールに通います。序章では、25歳の時に描かれた、単純化された形態と輪郭線、平面的な色面によって構成された自画像が並んでいます。この時期のローランサンは、モンマルトルの集合アトリエ兼住居に出入りしながら自らの表現を追求していました。
序章「マリー・ローランサンと出会う」
画家や文学者など若い芸術家たちと交流を深めたローランサン。アトリエで出会ったパブロ・ピカソ(1881-1973)やジョルジュ・ブラック(1882-1963)らによる「キュビスム」の影響も受けるようになります。
1910年代になると、白色を多く用いて淡い灰色や青色、ピンク色といった色彩を好んだローランサンは、キュビスムの手法を援用しつつ、叙情的な気配に満ちた人物像を描く自らの様式を確立していきます。
第1章「マリー・ローランサンとキュビスム」
第1章「マリー・ローランサンとキュビスム」
絵画制作をする一方で、多くの詩人と交流し自ら詩を書いたローランサンは、1907年にピカソを介して詩人のギヨーム・アポリネール(1880-1918)と出会います。1914年になると、第一次世界大戦の勃発したためフランスからマドリードへのがれ、文芸サロン「ボンボ」に出入りします。
22歳の頃、初めてフランス人詩人の詩集の挿絵をてがけたローランサンは、1920年代以降に挿絵画家として本格的に活動し、80冊以上の本を提供。その技術は高く評価され、『椿姫』など名著再販の挿絵を依頼されるほどでした。
第2章「マリー・ローランサンと文学」
戦後の安堵感や戦勝国として高揚感で活気づいていたフランス。ローランサンはパリにもどり、1923頃からは肖像画家として人気を博し、その評判からパリ社交界に多くの顧客をもつようになります。優雅で洗練された女性たちは美しく明るい色彩でまるで夢見るような表情をしています。
しかし、1929年の世界恐慌やふたたび起こる戦争の不安に襲われます。そんな状況を払拭するようにローランサンの作品は華やかさを増し、赤色や黄色が登場するようになります。
第3章「マリー・ローランサンと人物画」
人物画のほかに、多くの静物画を手がけたことでも知られているローランサン。静物画は芸術分野の地位としては高いものではありませんが、ローランサンは序列にこだわらず、数多くの花の絵を描き、生涯を通して80点ほど制作しています。
第5章「マリー・ローランサンと静物画」
同時代の芸術家と様々な交流をもっていたローランサンですが、特定の流派に正式に属することはなく、独自の画風をつくりあげてきました。そんなローランサンの作品を特徴づけているのが、パステルカラーの色彩と言えます。
終章では、最晩年に描かれた大作《三人の若い女》を展示。豊かな色彩を用いて人物を大きな構図で組み合わせたこの作品は、10年近くの歳月をかけて完成させたものです。
終章「マリー・ローランサンと芸術」
ローランサンの世界に浸ったあとは、ミュージアムショップへ。《手鏡を持つ女》にちなんだ色合いのミラーやブローチ、チョコレートやローランサンをイメージした紅茶葉もあり、お土産にもぴったりです。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2023年11月23日 ]