明治の末期から昭和初期にかけて活躍した日本画家、速水御舟(1894-1935)。創造性あふれる活動は、その後の近代日本画の展開にも大きな影響を与えましたが、わずか40歳で死去しています。
本画約100点と素描で、御舟の画家としての道筋をあらためて振り返る展覧会が、茨城県近代美術館で開催中です。
会場の茨城県近代美術館
展覧会は第1章「閉塞からの脱却 ― 模写から写生へ」から。速水御舟(本名・蒔田栄一)は、東京市浅草区生まれ。14歳で松本楓湖が主宰する安雅堂画塾に入門、中国や日本の古典を模写し、基本的な絵画技術を修得しました。
御舟に大きな影響を与えたのが、塾の先輩である今村紫紅です。紫紅は型に嵌ることを嫌い、御舟はその画風や考え方に共鳴しました。
(左から)《横浜》大正4年(1915)一般財団法人和楽庵 / 《柿》大正4年(1915)公益財団法人 大川美術館
第2章は「写実の探究 ― 細密描写」。デューラーなどの北方ルネサンス絵画や岸田劉生、宋元院体画から影響を受け、御舟は大正7(1918)年頃から写実的な描写に取り組むようになります。
展覧会のメインビジュアルである《鍋島の皿に柘榴》は、写実を追及した時代の頂点といえる作品です。果実の硬さや重さ、磁器の冷たさまで感じさせるような迫真の描写は注目です。
《鍋島の皿に柘榴》大正10年(1921)個人蔵
細密描写を突き詰めた御舟は、大正期の後半になると作風が大きく変化。幻想性や象徴性を帯び、形態の単純化が進んでいきます。
《京の家・奈良の家》は、建物を主要なモティーフとした対作品で、右が「京の家」、左が「奈良の家」。幾何学的なフォルムや色面を前面に押し出しています。
《京の家・奈良の家》昭和2年(1927)東京国立近代美術館
第3章は「古典との融合 ― 単純化と平面性」。御舟は昭和5(1930)年に渡欧。帰国後は、さらに東洋の伝統を深く追及した表現が見られるようになります。
《花ノ傍》は、同時代の女性の風俗をとらえた作品です。モデルは親戚の若い女性で、前景から後景へ犬、女性、テーブル、花とモティーフを並べて、空間を構成しています。
(左から)《女二題 其二》昭和6年(1931)福島県立美術館 / 《女二題 其一》昭和6年(1931)福島県立美術館 / 《花ノ傍》昭和7年(1932)株式会社歌舞伎座
《露潤》は、7月から9月にかけて淡い黄色の花を咲かせる黄蜀葵(トロロアオイ)を描いた一枚です。淡く発光するような花の色彩を胡粉の白と黄色のグラデーションで表現し、揚羽蝶が花にとまった瞬間をとらえました。
(左から)《露潤》昭和7年(1932)福田美術館 / 《草花図》昭和7年(1932)京都国立近代美術館
一人の画家とは思えないほどの多彩な表現で、自らの画業を追及し続けた速水御舟。将来の日本画の担い手として期待を集めていましたが、腸チフスのため急逝。横山大観をはじめ、多くの画家がその早世を惜しんだと伝わります。
山種美術館に数々の代表作があることから、御舟の作品を目にする機会は少なくはありませんが、画業を通覧する大規模展は、2008年の平塚市美術館以来、15年ぶりです。
巡回はなく、茨城県近代美術館だけでの開催です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年2月20日 ]