19世紀末~20世紀初頭に活躍した画家、エゴン・シーレ(1890-1918)。わずか16歳でウィーン美術アカデミーに入学、常識にとらわれない創作で逮捕されることまでありましたが、わずか28歳で死去するまで精力的に活動し、その作品は今なお人々を魅了し続けています。
ウィーン・レオポルド美術館の所蔵作品を中心に、数々のシーレ作品が来日。同時代作家たちの作品もあわせウィーン世紀末美術を展観する大規模展が、東京都美術館で開催中です。
東京都美術館「レオポルド美術館 エゴン・シーレ展 ウィーンが生んだ若き天才」会場入口
会場は14章構成。ここでは目についた作品をご紹介したいと思います。
冒頭はシーレの初期作品。レオポルト・ツィハチェックはシーレの裕福な叔父。シーレの父親が早くに亡くなると、若いシーレの後見人になりました。
エゴン・シーレ《レオポルト・ツィハチェックの肖像》1907年 豊田市美術館
シーレは1907年頃に、当時のウィーン美術界の中心人物だったグスタフ・クリムトと知り合います。クリムトはシーレの才能を理解し、自身のコレクターたちにシーレを紹介しました。
1908年から1909年頃のシーレの作品には、クリムトからの影響が感じられます。《装飾的な背景の前に置かれた様式化された花》における正方形のカンヴァス、また背景に金や銀を用いる手法は、明らかにクリムトの作風です。
エゴン・シーレ《装飾的な背景の前に置かれた様式化された花》1908年 レオポルド美術館
展覧会の目玉といえる作品が《ほおずきの実のある自画像》。シーレの自画像のなかでは最もよく知られた作品で、描いたのは22歳の時です。
鑑賞者に視線を向けるシーレは、若き日の野心が感じられ、挑発的にもみえる表情。すばやい筆致で面を確実に捉え、配色や構図も申し分ありません。あまりにも早熟な才能に驚かされます。
エゴン・シーレ《ほおずきの実のある自画像》1912年 レオポルド美術館
《母と子》は、キリスト教絵画の伝統的な聖母子像を思わせる構図ですが、母親はしっかりと目を閉じ、一方で子どもは恐怖心をあらわにしたような表情。平和や愛情よりは、死や不安のほうがイメージされます。
作品の制作には指も使われたようで、一部に指紋が残っています。
エゴン・シーレ《母と子》1912年 レオポルド美術館
展覧会には同時代の作品も出展されています。コロマン・モーザーは、クリムトとともにウィーン分離派を創設したひとり。機関誌『ヴェル・サクルム』のデザインを担当しました。
1903年にはウィーン工房を設立。中心的な存在として、空間デザインや家具、工芸品などでも活躍しました。絵画でも花をモティーフにした装飾的な作品が見られます。
コロマン・モーザー《キンセンカ》1909年 レオポルド美術館
リヒャルト・ゲルストルは、ウィーン美術アカデミーで学んだ画家。《半裸の自画像》は象徴主義的な作品で、受難のキリストを暗示しています。
ゲルストルは失恋が原因で25歳で自殺。死後、作品は長らく封印されていましたが、1931年に初めて展覧会が開催され、再び注目されるようになりました。
リヒャルト・ゲルストル《半裸の自画像》1902/04年 レオポルド美術館
しばしばエロティックな作品を描いたシーレ。1912年にはわいせつ画頒布とモデルの少女誘拐の容疑で収監されたこともあります。
シーレが描く裸婦は、体を極端にひねったり、うずくまったりと、バラエティに富んだポーズが目立ちますが、どの作品も的確なデッサン力は特筆されます。
(右)エゴン・シーレ《赤い靴下留めをして座る裸婦、後ろ姿》1914年 レオポルド美術館
シーレは1918年の第49回ウィーン分離派展に数多くの作品を出展。メインの画家として紹介されて大きな成功を収め、数々の作品が購入されるも、世界的に流行したスペイン風邪に感染。妊娠中の妻が亡くなった3日後に、シーレも28歳で死去しました。
シーレに焦点を当てた大規模展は、1991年~92年にBunkamura ザ・ミュージアムなどで開催された「エゴン・シーレ展」以来、約30年ぶり。東京展のみで巡回はしません。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2023年1月25日 ]