近代陶芸の巨匠、板谷波山(1872-1963)。戦前は昭和9年(1934)に帝室技芸員に任命され、戦後の昭和28年(1953)には陶芸家初の文化勲章を受章するなど、大正から昭和期にかけて日本の陶芸界を代表する存在でした。
生誕150年を記念し、選りすぐりの名品を中心に、波山が愛した故郷への思いや人となりを示す資料なども展示しながら、「陶聖」波山の全容に迫る展覧会が、泉屋博古館東京で開催中です。
泉屋博古館東京「生誕150年記念 板谷波山の陶芸」会場入口
展覧会は、まず序章「ようこそ、波山芸術の世界へ」から。さまざまなな作品をとおして、その作品世界を俯瞰します。
長い創作活動のなかで、徐々に自分の作風を固めていった波山。東洋の古陶磁がもつ洗練された造形をベースに、19世紀末に西欧を席巻したアール・ヌーヴォーの装飾性も加味していきました。
(左から)《太白磁紫陽花彫嵌文花瓶》1916(大正5)年頃 廣澤美術館 / 《彩磁蕗葉文大花瓶》1911(明治44)年頃 廣澤美術館 / 《葆光彩磁牡丹文様花瓶》1922(大正11)年 東京国立近代美術館
第Ⅰ章は「『波山』へのみちのり」。板谷波山(本名・板谷嘉七)は明治5年(1872)、茨城県下館町(現・筑西市)生まれ。進学した東京美術学校(現・東京藝術大学)には陶芸科はなく、彫刻科で岡倉天心や高村光雲に師事。芸術的な素養を深めていきました。
《元禄美人》1894(明治27)年 東京藝術大学
卒業後は美校時代の先輩・白井雨山の誘いを受けて、石川県工業学校の教員になっています。彫刻科で勤務した後、1年ほどで窯業科へ。授業の傍ら、自らも陶器づくりをはじめました。
《彩磁芭蕉蛙文花瓶》は、陶芸家としてデビューする前の愛らしい作品です。
《彩磁芭蕉蛙文花瓶》1898-1903(明治31-36)頃 板谷波山記念館
第Ⅱ章は「ジャパニーズ・アール・ヌーヴォー」。波山が陶芸家として歩み始めた19世紀後期は、ジャポニスムブームに陰りが見え、日本陶磁の輸出も激減。陶芸家にとっては厳しい時代でしたが、波山は個人で本格的な高火度焼成の窯を東京・田端に構え、磁器の焼成に乗り出しました。
《彩磁藤文花瓶》は陶芸家デビュー当時の、初々しさを感じさせる作品です。藤は筆による付け立て描法で描かれ、器全体がマット釉で覆われています。
《彩磁藤文花瓶》明治末期 板谷波山記念館
この頃、波山が熱心に取り組んだ課題は、西欧で流行したアール・ヌーヴォースタイルの意匠研究と、西欧渡来の釉や顔料の実用化でした。
《八つ手葉花瓶》は、アール・ヌーヴォーを積極的に取り入れた初期作品のひとつです。波山のスケッチには、本作と類似した1900(明治33)年パリ万国博覧会出品作の、帝室博物館(現・東京国立博物館)所蔵のフランス製花瓶の絵もあり、本作はそれを念頭にしながら制作された作品と考えられます。
《八つ手葉花瓶》1919(大正8)年 泉屋博古館東京
第Ⅲ章は「至高の美を求めて」。波山は色彩に対して鋭い感性を持っており、その感覚は、波山陶芸の金字塔といえる「葆光彩磁」へと発展していきました。
磁器の素地を被うガラス質の釉のなかに、炭酸マグネシウムを使って微細な空気の結晶を発生させることで、うつわ全体が光沢がない幻想的な雰囲気になる葆光彩磁。試行錯誤を経て、大正中期頃についに完成に至りました。
ただその後も、葆光彩磁への挑戦は失敗と隣り合わせ。それはそのまま、貧困との戦いになります。そのため葆光彩磁の制作は、昭和初期までの約10年間に限られています。
《葆光彩磁唐草文細口花瓶》1916(大正5)年 泉屋博古館東京
明治40年代から大正時代にかけて波山は数々の大作を制作し、皇室をはじめ多くの人に愛されました。
1917(大正6)年、日本美術協会第57回展に出品された「葆光彩磁珍果文花瓶」は「金牌第一席」を受賞。葆光彩磁の傑作として名高いこの作品は、住友家第15代当主、住友吉左衛門友純による買い上げとなりました。
重要文化財《葆光彩磁珍果文花瓶》1917(大正6)年 泉屋博古館東京
《葆光彩磁鳳凰文花瓶》は、初公開の逸品です。華麗なる法相華模様が全面を飾り、雌雄の風風が配されています。
出光美術館にも類似作があり、1923(大正12)年の摂政宮(後の昭和天皇)御成婚を祝した、久邇宮家の注文品とみられます。
(左から)《葆光彩磁鳳凰文花瓶》1923(大正12)年頃 個人蔵 / 《葆光彩磁草葉文花瓶》1917(大正6)年頃 石川県立美術館
《氷華彩磁唐花文花瓶》は、やや異色といえる作品。隅々まで配慮を怠らない作品が多いなか、細部は拘らずに色彩が混ざり、幻想的な景色を見せています。
草花の輪郭は太めの黒線で縁取られ、力強さも感じられます。1929(昭和4)年の第9回帝展で、帝国美術院賞を受賞しています。
《氷華彩磁唐花文花瓶》1929(昭和4)年 東京国立近代美術館
《金砂磁柘榴紋花瓶》は瓶形にスラリと伸びた器。胴部上半には柘榴唐草文を浮き彫りであらわしています。
器の全面に、波山が「金砂磁」と呼ぶ茶褐色の鉄釉が流し掛けされ、特徴的な色彩を放ちます。
(左から)《桃彫紋花瓶》1931(昭和6)年頃 個人蔵 / 《金砂磁柘榴紋花瓶》大正後期 個人蔵
会場には、数々の陶片も展示されています。
飛鳥山焼と称していた最初期の作品の陶片から、前述した葆光彩磁器の陶片、硝酸コバルトを使った藍彩の陶片など。波山の苦闘の日々が滲み出ているようです。
陶片の数々
茶陶の世界でも、波山は新しい感覚のうつわを生み出しています。
《白磁蓮華文香炉》は、うつわ全体が蓮華に包み込まれたかのような姿の香炉。落ち着いた風情で、神々しさすら感じさせます。うつわの中には灰が付着しているため、実際に使われたことがあるようです。
《白磁蓮華文香炉》大正中期 個人蔵
試行錯誤を続けながら一歩ずつ前進し、自らの陶芸を確立していった波山。理想の作品のためには一切の妥協を許しませんでしたが、その一方で故郷の下館をこよなく愛し、ふるさとの人々にも愛された人でもありました。
展覧会は東京展の後、茨城県陶芸美術館に巡回します(2023年1月2日~2月26日)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年11月2日 ]