20世紀最大の画家、パブロ・ピカソ(1881-1973)。ピカソは過去の芸術を吸収し、同時代の人々からインスピレーションを受けながら、唯一無二の作品を描き続けました。
豊富なピカソ・コレクションを有するイスラエル博物館から、版画を中心に厳選した約130点で、その創作の軌跡を追う展覧会が、パナソニック汐留美術館で開催中です。
1881年、スペイン南部の町マラガで生まれたピカソ。父親は美術教師・画家で、ピカソも幼少の頃から絵画に親しみました。
1900年には初めてパリを訪問。友人の芸術家の自殺を受けて「青の時代」へ、恋人の出現で「バラ色の時代」と、作風は変化していきます。
第1章「1900-1906年 初期 ― 青の時代とバラ色の時代」
1908年、ピカソとジョルジュ・ブラックはキュビスムを開始。多視点から見た対象のかたちを画面上に並べる「分析的キュビスム」から、1913年には単純化された大きな面と多様なテクスチュアを用いる「総合的キュビスム」へと発展します。
展示されているドローイングと銅版画からは、ピカソによるグラフィック作品と絵画作品の関連性も読み取れます。
ピカソは1917年にイタリアを訪問。地中海的伝統や古典美術、ルネサンス美術に惹かれるようになります。またシュルレアリスムの芸術家と親交を結び、1925年には第一回シュルレアリスム展にも参加しました。
1930年から7年間にわたり、100点からなる版画シリーズ〈ヴォラール連作〉を制作。この時期のピカソのミューズだったマリー=テレーズ・ヴァルターの姿もしばしば登場します。
第3章「1920-1936年 新古典主義、シュルレアリスム、〈ヴォラール連作〉」
1936年から39年にはスペイン内戦が勃発。ピカソはフランスに住んでいましたが、母国の惨事は創作に大きな影響を与え、銅版画《フランコの夢と嘘I、II》など政治色が強い作品を制作しました。
戦時期のピカソのミューズだった写真家ドラ・マールの肖像や、1943年に出会って二人の子をもうけた画家フランソワーズ・ジローをモチーフにした作品も展示されています。
ピカソは1950年代末から60年代には、木よりも加工が容易なリノリウムを用いる版画技法「リノカット」を追求。膨大な作品を制作しました。
1954年にピカソは45歳年下のジャクリーヌ・ロックと暮らし始め、後に結婚。彼女はピカソにとって最後のミューズになりました。
1968年にはわずか7カ月で347枚の版画〈347シリーズ〉を制作。愛の営みも大胆に描いたこの連作は、ピカソが86歳で取り組んだものです。
第5章「1952-1970年 晩年 ― ジャクリーヌ・ロック、闘牛、バッカナリア、画家とモデル、〈347シリーズ〉」
エルサレムにあるイスラエル博物館は、1965年に設立。約50万点のコレクションを誇る、イスラエルの最も重要な文化施設で、世界有数の博物館の一つです。
同館のピカソ・コレクションがまとまって日本で紹介されるのは、本展が初めてです。東京展の後に滋賀、長崎に巡回。会場と会期はこちらです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年4月8日 ]