戦後復興期から1980年まで活躍した吉阪隆正(1917-1980)。彫塑的な造形を持った独特の建築だけでなく、教育者・登山家・冒険家・文明批評家と、さまざまな分野で活躍しました。
スケッチ、原稿、ノートなど数々の資料で吉阪の創造の秘密に迫る展覧会が、東京都現代美術館で開催中です。
東京都現代美術館「吉阪隆正展 ひげから地球へ、パノラみる」会場入口
展覧会は第1章「出発点」から。吉阪は東京生まれ。幼少期に家族とともにスイスへ渡り、イギリスに留学。その後もフランス、アフリカ大陸横断、北米大陸横断など地球を巡るように活動しました。
第1章 「出発点」 メビウスの輪
第2章「ある住居」では、吉阪の自邸が原寸大で再現されました。これは日本初の“人工土地”を持つコンクリート住宅です。
吉阪は戦後の住宅難解消のため「住むためにすべてが準備されている大地を人工の力でつくる」ことを提唱。それを“人工土地”と呼びました。
第2章「ある住居」
第3章は「建築の発想」。吉阪は1954年に設計アトリエの吉阪研究室を設立(後にU研究室に改称)、本格的に建築設計を進めます。
個人住宅から《ヴェネチア・ビエンナーレ日本館》など大規模な建築まで、さまざまな作品を手がけました。
第3章「建築の発想」
第4章は「山岳・雪氷・建築」。幼少期にスイスで登山をしてから、山を愛していた吉阪。マッキンリー(デナリ)登山などで探検隊を組織し、建築以上に熱心だったとも言われます。
山岳建築として手がけた《黒沢池ヒュッテ》は、雪が屋根に積もらないようなドーム型の形状が特徴的です。
第4章「山岳・雪氷・建築」
第5章は「原始境から文明境へ」。吉阪はどこに行くにも集印帖を携帯し、ペンで写生をしました。
吉阪が“パタパタ”と呼ぶ屏風折りの集印帖は、現在国内で描いたものが64冊、海外のものが76冊遺されています。
第5章「原始境から文明境へ」
第6章は「あそびのすすめ」。吉阪は自身を「アルキテクト ─ 歩きテクト」と称していました。さまざまな場所に出かけ、何気ないものを注意深く観察することで、デザインの「楽しさ」を築いていきました。
第6章「あそびのすすめ」 写真提供:東京都現代美術館
最後の第7章は「有形学へ」。1966年に早稲田大学大学院吉阪研究室が設立。都市や農村地域のフィールドワークや研究・計画を進めました。
都市の人口爆発や環境汚染、地域コミュニティの崩壊など、当時の社会状況を掘り下げて課題を分析し、社会に対して提案し続けていました。
第7章「有形学へ」
多彩な活動を示すように、膨大な資料に溢れた展覧会。デザイン性豊かな会場構成も見ものです。
吉阪隆正の活動の全体像を紹介する展覧会は、公立美術館では初めて。今後も再評価の動きが加速しそうです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年3月18日 ]