飛鳥時代の偉人 聖徳太子。小学校での授業で取り上げられ、今までに発行された日本紙幣で肖像画が一番多く使用されたりと、馴染みの深い歴史上人物です。
10人の話を同時に聞き分けた、2歳にして東方を向き「南無仏」と唱えたなど、1400年以上前のエピソードが現代までも伝えられているという事実は、彼の偉大さを表します。
第1章「聖徳太子の生涯-太子の面影を追って」より
来年令和4年(2022)聖徳太子が没して1400年を迎えることを記念した展覧会が大阪市立美術館で始まりました。古代から中世を経て現代までの太子ゆかりの宝物と、推古天皇(聖徳太子)が建立した大阪・四天王寺のあゆみを通して太子信仰の全貌を展覧します。
5章仕立てとなる本展には、前後期併せて約180件の名品が日本各地から会します。そこには国宝8件、重要文化財が41件が含まれる予定で、展覧会に初出品されるものがあるなど想像を上回るボリュームです。
会場風景 第1章「聖徳太子の生涯-太子の面影を追って」より
会場風景 第2章「聖徳太子信仰の拡がり—宗派を超えて崇敬される太子」より
会場風景 第2章「聖徳太子信仰の拡がり—宗派を超えて崇敬される太子」より
太子の事績を描いた聖徳太子絵伝や彼が持っていたと言われる刀など、太子の人物像にスポットあてた第1章「聖徳太子の生涯-太子の面影を追って」。第2章「聖徳太子信仰の拡がり—宗派を超えて崇敬される太子」では、日本に仏教を広めた人物として、没後まもなく信仰の対象となった太子の特定の年齢の姿を表した絵画や彫刻が展示されています。
2歳児の丸い顔立ち、角髪(みずら)を結った姿の瑞々しさ、両手で笏(しゃく)を執り端坐する青年期の様子には威厳が漂います。人々は太子の様々な姿に新近感を覚え、より太子信仰を篤くさせたのではないでしょうか。それが現代にまで続いているというのは奇跡的にも思えます。
会場風景 第3章「大阪・四天王寺の1400年-太子が建立した大寺のあゆみ」より
会場風景 第3章「大阪・四天王寺の1400年-太子が建立した大寺のあゆみ」より
会場風景 第3章「大阪・四天王寺の1400年-太子が建立した大寺のあゆみ」より
第3章「大阪・四天王寺の1400年-太子が建立した大寺のあゆみ」では四天王寺の歴史と名宝が紹介されています。中でも目を引くのは、国宝「扇面法華経冊子」。扇形の紙を中央で折り合わせ冊子の形にし、金銀の切箔などの装飾が施され、下絵の上に写経されています。本来十帖ありましたが、同寺では現在五帖を所蔵。会期途中に展示替により3種類がお目見えします。
また見どころの1つとなる狩野山楽の「聖徳太子絵伝(旧絵堂壁画)」。全十六面揃えて展示されるのは本展が初めて。絵堂を再現した空間は荘厳で時空を越えていきます。
会場風景 第5章「近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ―つながる祈り」より
第4章「御廟・叡福寺と大阪の聖徳太子信仰-太子が眠る地」では大阪南部に点在する太子ゆかりの寺院を通し、大阪における太子信仰を紹介。第5章「近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ―つながる祈り」では近代以降における太子のイメージを漫画や彫刻によって辿ります。
聖霊会舞楽で使用されている舞楽用具 第5章「近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ―つながる祈り」より
会場風景 第5章「近代以降の聖徳太子のイメージ…そして未来へ―つながる祈り」より
また1400年の歴史をもつ聖霊会(しょうりょうえ)も紹介されています。毎年4月22日、聖徳太子の命日を偲んで行われる、四天王寺の行事の中で最も重要で大規模な法要で、この時の舞楽(聖霊会舞楽)は国の無形民俗文化財に指定されています。
実際に使われていている羽根をつけた衣装や面などの舞楽用具を眺めていると、今秋から来春にかけて開催される「聖徳太子千四百年御聖忌慶讃大法会」にぜひ足を運びたくなります。
展覧会を通して、私たちは歴史という大きな流れの中にいることを実感できます。100年に一度の節目の年、次の100年へとつなげるために取り組むべきことは何か、太子が問いかけている気がします。 本展は大阪展終了後、東京・サントリー美術館へと巡回されます。
館内の誘導ポスター
大阪市立美術館外観
[ 取材・撮影・文:カワタユカリ / 2021年9月3日 ]
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