水平と垂直の線で分割した画面を、赤・青・黄の三原色で表現した作品で知られる、ピート・モンドリアン(1872-1944)。本格的な抽象絵画の先駆けとされる重要な画家ですが、創作の足跡を知る人はあまりいないと思います。
オランダのデン・ハーグ美術館をはじめ国内外の美術館から作品を集め、モンドリアン芸術の広がりを検証する展覧会が、SOMPO美術館で開催中です。
SOMPO美術館「モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて」会場
モンドリアンはオランダ中央の田舎町の生まれ。アムステルダムの美術アカデミーで学び、活動の初期にはハーグ派様式の風景画を描きました。
冒頭の《王立蝋燭工場》は、アムステルダムの郊外にあった工場を描いた作品。習作では正確に写し取っていますが、油絵では幅の広い筆致で、暗い画面として構成しています。
モンドリアンの関心が幾何学的な部分にあることが分かります。
(左から)ピート・モンドリアン《王立蝋燭工場》1895‒99年 デン・ハーグ美術館 / ピート・モンドリアン《農家》1895年 デン・ハーグ美術館
モンドリアンは神智学(すべての精神の働きはひとつの普遍的な教養に統べられると考えた神秘的な世界の見方)に関心を寄せ、1909年には正式に神智学協会の会員となりました。
モンドリアンがしばしば描いた花は「成長と腐敗」、つまり「再生と進化」と結びつけられていたと思われています。
《幼子》の下部に描かれたアネモネの花輪も、無垢な子供の魂の動きを表しているのかもしれません。
(左から)ピート・モンドリアン《ヘイン河畔の樹》1903年 京都国立近代美術館 / ピート・モンドリアン《幼子》1900‒01年 デン・ハーグ美術館
モンドリアンは1903年にブラバント地方のウーデンに旅行。翌1904年にはウーデンに転居し、農家の生活や日常の情景を描きました。
《ニステルローデの納屋》はこの時期の作品。このような作品の描き方が抽象的な形態としての構図の先駆けになったと、後にモンドリアンは語っています。
(左から)ピート・モンドリアン《ニステルローデの納屋》1904年 デン・ハーグ美術館 / ピート・モンドリアン《農家、ブラバント》1904年 デン・ハーグ美術館
1912年からパリで生活を始めたモンドリアン。この頃から、当時流行していたキュビスム風の作品を描くようになります。
《女性の肖像》もキュビスム風の作品。大部分は大きな垂直の平面で構成されているのは、モンドリアンがキュビスムを取り入れた初期の作例の特徴です。
《風景》もキュビスム風ですが、この作品には平行に走る短い筆致と空間の扱い方に、セザンヌからの影響も見られます。
(左から)ピート・モンドリアン《女性の肖像》1912年 デン・ハーグ美術館 / ピート・モンドリアン《風景》1912年 デン・ハーグ美術館
モンドリアンによるキュビスム風の作品は、当初は風景や人物など、過去にも取り組んでいたモティーフを描いていましたが、後に木々を題材にするようになりました。《コンポジション 木々 2》もそのひとつです。
パリの自宅アパート界隈の眺めをもとに描かれたのが《色面の楕円コンポジション 2》です。近くには固形ブイヨン「KUB」のビルボード広告があり、この作品にもKUBの文字(Kは一部分のみ)が残されています。
(左から)ピート・モンドリアン《コンポジション 木々 2》1912‒13年 デン・ハーグ美術館 / ピート・モンドリアン《色面の楕円コンポジション 2》1914年 デン・ハーグ美術館
モンドリアンの代表的なイメージである水平・垂直な直線と三原色からなる「コンポジション」の作風が確立されたのは1921年です。
《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》も、1921年の作品。モンドリアンが1919年6月にパリに戻ってから描き始め、円熟させていった「新造形主義」の好例です。
ピート・モンドリアン《大きな赤の色面、黄、黒、灰、青色のコンポジション》1921年 デン・ハーグ美術館
モンドリアンは1915年にオランダの画家、テオ・ファン・ドゥースブルフと知り合うと、ドゥースブルフはモンドリアンの作品を絶賛。芸術家グループ「デ・ステイル」を結成し、10年以上にわたって機関誌を発行、建築家や音楽家も参加しました。デザイナー・建築家として活躍したヘリット・トーマス・リートフェルトもデ・ステイルに参加しています、
ただ、デ・ステイルはメンバーの入れ替わりが激しく、モンドリアンも1925年には脱退しています。
(手前)ヘリット・トーマス・リートフェルト《アームチェア》デザイン:1918年(再制作:1958年)豊田市美術館
ピカソやマティスなど、20世紀前半に活躍した西洋の主要画家たちに比べると、その作品の特異性からか、日本でのモンドリアンの受容は少し遅れました。
日本の美術雑誌に初めて掲載されたのは1925年。第二次世界大戦までモノクロ印刷が主流だったのも、モンドリアン作品の理解を妨げていました。
1954年の『みづゑ』9月号の表紙にモンドリアン作品がカラーで掲載。おそらくこれが、日本の美術雑誌の表紙を飾った最初のモンドリアン作品です。
日本でのモンドリアン受容
作品の認知度はとても高いと思いますが、意外にも日本でのモンドリアン展は、実に23年ぶり。会場の最後にはフォトスポットのコーナーがありますので、ぜひ会場で一枚撮って拡散してください。
フォトスポット
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年3月22日 ]