米国ピッツバーグ郊外に生まれたメアリー・カサット。父は成功した株式仲買人で、恵まれた環境で幼少期を過ごしました。画家を目指して家族の反対を押し切って21歳でパリへ。アカデミズムの画家に師事し、1868年にサロンに初入選を果たしました。
オールドマスター作品を模写して研鑽を積んだカサット。この時期は的確なデッサン力を武器に、強いコントラストでサロンへの出品を目的にした作品を制作していました。
第1章「画家としての出発」十分な実力を持っていたカサットですが、必ずしも自分の作品を正当に評価しないサロンに、次第に不満を募らせます。そんなカサットが画廊のウィンドウで見つけたのが、エドガー・ドガのパステル画。ガラスに鼻を押し付けてドガの絵に見入ったカサットは、当時の革新的な表現だった印象派の道に進む事になります。
日本初公開の傑作が《桟敷席にて》。ドガも好んだ劇場の模様を、オペラグラスで舞台を見つめる魅力的な女性像で描きました。
母子像を数多く残したカサット。《眠たい子どもを沐浴させる母親》は1880年の第5回印象派展に出品した作品で、カサットの最初期の母子像のひとつです。右手でスポンジを絞る母親と、とろんとした目の子ども。母の顔ははっきりと描かれていませんが、優しい日常の一コマを見事に切り取っています。
第2章「印象派との出会い」他の印象派の画家と同様に、カサットも浮世絵から影響を受けています。1890年にエコール・デ・ボザール(国立美術学校)で開催された日本版画展の浮世絵版画に感激。すぐに自らも多色刷りの版画をはじめ(ただし銅版画)、浮世絵の蒐集も行いました。
女性の日常生活を描いた10点組は、近代版画の傑作として知られる名品。浮世絵の「揃物」に倣って、このスタイルを採用したと思われます。会場には浮世絵をはじめ、カサットが愛した日本美術も展示。作品のイメージソースになった浮世絵も紹介されています。
第3章「新しい表現、新しい女性」から、10点組の多色刷り銅版画カサットは、米国の富豪・ハヴマイヤー夫妻のアートコレクションを支えるアドバイザーとしても、大きな功績をあげています。評価が定まっていなかった印象派について、オールドマスターに匹敵する事を熱心に解説。カサットを信頼した夫妻は印象派の大コレクターとなり、没後に作品はメトロポリタン美術館に寄贈されました。
1904年にはレジオン・ドヌール勲章シュヴァリエを受章したカサット。名実ともに確固たる地位を確立しました。1926年に82歳で死去。「母子像の画家」と称されたカサットですが、自身は子どもは持たず、生涯独身だったのは少し意外にも思えます。
第3章「新しい表現、新しい女性」大規模にカサットを紹介するのは、1981年に伊勢丹美術館(東京・閉館)と奈良県立美術館を巡回した展覧会以来、35年ぶり。ちょうど夏休み期間という事もあって、親子で楽しめる企画や、夜の美術館での鑑賞会などイベントも多彩です。詳細は
公式サイトでご確認ください。
横浜展の後は、
京都国立近代美術館(9月27日~12月4日)に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年6月24日 ]■メアリー・カサット展 に関するツイート