開国で西洋に触れた日本は大きな衝撃を受けましたが、日本に接した西洋も、遠い異国の文化や風俗に大きな衝撃を受けました。
本展は、ボストン美術館と東京藝術大学の所蔵品を並べて紹介する初の試み。展覧会を監修した
東京藝術大学大学美術館の古田亮准教授にお話を伺いましたので、まずはこちらをご覧ください。
監修は東京藝術大学大学美術館の古田亮准教授3階から始まる会場構成。プロローグ「黒船が来た!」では、西洋文明の衝撃を記した幕末明治期の浮世絵や、日本にとっては未知の技術だった油彩で迫真的な肖像画に挑んだ高橋由一《花魁(美人)》(重要文化財)などが紹介されています。
第1章は「不思議の国JAPAN」。奥に進むと目に入るのが、ボストン美術館所蔵の高石重義《竜自在》です。
戦乱がない江戸中期に仕事を失った甲冑師が手掛けた、節が動いて形を変形できる「自在」。国内では東京国立博物館にある1mほどの龍の自在が良く知られていますが、なんとこちらは約2m、自在では世界最大級です。ボストン美術館では吊って展示されているとの事、確かに宙に浮いた姿も似合いそうです。
プロローグ「黒船が来た!」、第1章「不思議の国JAPAN」第2章「文明、開花せよ」では、ボストン美術館が所蔵する明治前半期の錦絵。開国で西洋文化が流入すると服装から建築、交通手段にいたるまで都市の様相は一変。当時の錦絵は、新しい時代を迎えた街と市民の姿を描いています。
美術の世界も近代化が進み、西洋美術から積極的に技術を取り入れました。第3章「西洋美術の手習い」では、明治前期の洋画家たちと、日本で美術を教えた外国人の作品を紹介します。
工部美術学校で彫刻を教えたヴィンチェンツォ・ラグーザ。《日本の大工》は背中の入れ墨も作っていますので、ぜひ背後まで回ってご覧ください。
第2章「文明、開花せよ」、第3章「西洋美術の手習い」地下に下りて、第4章は「日本美術の創造」です。明治10年代半ばに入ると伝統美術を見直す機運が高まり、岡倉天心とアーネスト・フェノロサがその活動を推進します。
近代日本画の記念碑的な作品が、狩野芳崖《悲母観音》(重要文化財)。隣には、芳崖の高弟だった岡倉秋水が、芳崖の作品を模写した《悲母観音》も展示されています。
展覧会メインビジュアルの小林永濯《菅原道真天拝山祈祷の図》は、この章で展示。181.1×98.2cmというかなり大きな作品で、「劇画的」どころではなく劇画そのものです。小林永濯の作品は他にも2点出ていますが、ここまで劇的な表現では無いだけに、特異な表現が印象に残ります。
第4章「日本美術の創造」最後は第5章「近代国家として」。日清・日露戦争に勝利した日本は、天皇を中心とした近代国家体制を確立させ、美術でも日本神話に基づいた作品が多く作られるようになりました。
失われていた弓が復元された竹内久一の《神武天皇立像》は、第3回内国勧業博覧会に出品された作品。明らかに明治天皇を意識した顔つきで、時代の要請に応えた大型の木彫作品(総高297.2cm)です。
ここには小林清親の錦絵も。「明治の広重」と称され抒情豊かな風景画で知られる清親も、戦争錦絵に携わっていました。
第5章「近代国家として」幕末から明治期の美術を紹介する企画はしばしばみられますが、「西洋側が受けた衝撃」を並べて見せるのは(ジャポニスム以外では)珍しい試み。作品ジャンルも多彩で見応えたっぷりですが、東京展は意外と会期が短いです。ご注意ください。
東京展の後は、
名古屋ボストン美術館(6月6日~8月30日)に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年4月8日 ]