関ヶ原合戦をテーマにした展覧会はこれまでも何度か開かれていますが、本展はその集大成ともいえる位置づけ。実際の戦いで用いられた武具や書状なども含め、東京展では157件(うち国宝3件、重要文化財20件)が紹介されています。
敵が銃を撃ってくるユニークなエントランス、プロローグでは豪華な関ヶ原合戦図屏風が3点紹介されています。
関ヶ原合戦に至るまでの資料として紹介されているのが、豊臣秀吉の辞世の句など。幼い後継者(秀頼)を遺したカリスマの死により、歴史の歯車は大きく動いていきました。
プロローグ「描かれた戦場」、第1章「秀吉の死 ─ 再乱の予感」上杉景勝を討つため、大坂城から会津に向かった家康。家康が意図的につくったこの政治的空白を突いて挙兵したのが石田三成でした。
三成・家康の両勢力がともに秀頼を守るという大義を掲げており、諸大名はどちらに付くか政治的な判断を迫られる事となります。会場には両陣営の権謀術数が垣間見える生々しい書状が並びます。
奥に進むと、見応えがある4つの具足が。右から順に真田昌幸、徳川秀忠、酒井家次、榊原康政の所有と伝わります。
2章「合戦前夜」某刀剣育成シミュレーションゲームの影響で、刀剣に魅せられる若い人が急増中。本展は刀剣がお目当ての方がいるかもしれません。
重要文化財《薙刀直し刀 骨喰藤四郎》(ほねばみとうしろう)は、切る真似をするだけで骨まで砕けるという逸話から、この名で呼ばれる名刀です。源頼朝→大友家→足利将軍家→松永秀久→大友宗麟→豊臣秀吉→徳川家→豊国神社という伝来です。
《徳川秀忠像》と、重要文化財《薙刀直し刀 骨喰藤四郎》美濃国赤坂に着陣した家康は、三成の居城である佐和山城責めへ西に進軍。察した三成も動き、交通の要衝であった関ヶ原に陣を敷き、運命の9月15日を迎えました。
戦闘は一進一退を繰り広げていましたが、小早川秀秋の寝返りによって一気に形勢は東軍側へ。長期戦になると思われていた天下分け目の戦いは、わずか一日で雌雄を決したのです。
会場には、天候の変化や諸大名の動きを分かりやすく示した「ジオラマ・プロジェクションマッピング」も。これがなかなか秀逸で、ゲームのような感覚で小学校高学年ぐらいから楽しめそうです。
第3章「決戦!関ヶ原」三成を倒したものの、徳川の天下が定まったわけではありません。会場終盤は関ヶ原合戦以降の資料が紹介されます。
最終的に大坂夏の陣で豊臣家が滅んだのは慶長20年(1615年)。関ヶ原合戦から15年、ここにようやく天下泰平の世が始まることになります。
ちなみに会場の
東京都江戸東京博物館は、本展にあわせるように常設展示室もリニューアルオープンしています(
取材レポートはこちら)。合戦以降の江戸の暮らしは、常設展示室でお楽しみください。
第4章「戦後の世界、天下人への道のり」、第5章「徳川家康の素顔」、エピローグ「家康の神格化」会期中に展示替えがあるので、
公式サイトで作品リストをご確認ください(※骨喰藤四郎の展示は4月19日までです)。東京展の後は、
京都文化博物館(6月2日~7月26日)、
福岡市博物館(8月7日~10月4日)に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年3月27日 ]■大関ヶ原展 に関するツイート