戦前から戦後にかけて、東京の姿を数多く撮影した師岡宏次。本展は師岡の生誕100周年を記念した企画で、師岡の銀座に関する作品の集大成となる「銀座五十年」シリーズを一挙に紹介しています。
第2企画展示室の会場入口から。動画の最後は、会場は時代順の3章構成。第1章は「モダン銀座の日々 1930-1940」です。
師岡が銀座を撮影しはじめたのは、1930(昭和5)年の「帝都復興祭」から。7年前の関東大震災で大きな被害を受けた銀座は徐々に復興し、この年、昭和天皇が銀座通りを視察しました。写真に写る溢れんばかりの群衆は、なんと100万人いたといわれています。
この時期は、銀座がモダン都市としてピークを迎えた頃。百貨店が新しい人の流れを作り、夜はカフェーのネオンが輝く華やかな街なみ。行き交う人々は和装・洋装とさまざまですが、どの人も明るい表情をしています。
第1章「モダン銀座の日々 1930-1940」第2章は「戦災の記憶 1940-1947」。時局が悪化すると電力統制でネオンは消え、流行の服装に身を包んでいた女性も婦人標準服(モンペ)姿に。銀座はすっかりさま変わりしてしまいました。
ひときわ目にとまるのが、大きなパノラマ写真。昭和20年の銀座四丁目です。服部ビルだけは焼失を免れましたが、他はほぼ焼け野原。三越にも大きな焼け跡が残ります。
なお、この時期の東京を撮影するのは制約が多かったのですが、師岡は対外宣伝用写真雑誌を作る会社にいたため、ある程度自由に撮影する事が可能でした。
第2章「戦災の記憶 1940-1947」第3章は「変化を続ける銀座 1950-1982」。戦後の復興を果たした銀座は、再び流行の中心地として輝きはじめました。
昭和40年代には都電が廃止され、道路は現在の姿に。銀座通りには歩行者天国も導入されました。
会場最後には、同じ地点を撮影した年代の違う写真も紹介。昭和10年代と昭和50年代、もちろん町の雰囲気は全く違いますが、銀座ならではの活気はどちらの写真からも感じられるように思います。
第3章「変化を続ける銀座 1950-1982」会場には、戦前の流行を紹介するマネキンや建築模型などの資料も。当時の銀座の空気も、あわせてお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年10月22日 ]