柳悦孝(1911-2003)は、
日本民藝館創設者である柳宗悦(やなぎむねよし)の甥。宗悦の勧めで織物の道に進み、沖縄に渡って織物の技法を学びます。模様を自由に展開できる絣の技法である手結(てゆい)や、地元の植物染料を使って染める黄八丈(きはちじょう)など、伝統の技を謙虚に学びながら、堅牢で実用性に富んだ手織物を織りました。同時に、煮ると水に溶けるビニロン糸を使った撚(よ)りの無いマフラーなど、オリジナリティあふれる仕事もしてきました。また、創作の一方で女子美術大学などで教鞭もとり、1975年~83年には同大学の学長も勤めています。
一方の芹沢銈介(1895-1984)は、型絵染の人間国宝(重要無形文化財保持者)。柳宗悦による著書「工藝の道」に感銘を受け、宗悦を生涯の師として仰いで交流。昭和14年に沖縄にわたって紅型(びんがた、沖縄を代表する染色技法)を学び、本来は分業作業で行なう型彫から染までを全て一人で行いました。花、鳥、風景、文字など、様々なモチーフを題材にした染め模様は高く評価され、昭和31年に「型絵染」で人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定されています。
2階の大展示室ふたりは
日本民藝館の展示にも携わり、公募展「日本民藝館展」の審査などを通して後進の指導にもあたりました。2階の大展示室や回廊などに展示されたふたりの作品は、150点余り。柳悦孝は絹、木綿、毛などの素材を生かした着物、帯、服地、マフラーなど。芹沢銈介は型染による屏風、着物、装丁本など。雑誌「工藝」の表紙は柳が織った布に、芹沢が染めたという共同制作です。どれも素朴ながら、味わいのある作品ばかり。取材に伺ったのは平日の午前中でしたが、開館前から民芸ファンが待っているなど、静かな人気を呼んでいるようです。
日本民藝館内会場の
日本民藝館は、昭和11年(1936年)の開館。日本各地の日常雑器、日用品などの一般的に使う民衆的工芸=民芸の中に美を見出し、それを広めていこうとした「民芸運動」の中心的人物だった柳宗悦が、自邸の隣に創設しました。写真でご覧いただけるように、美術館は2階建瓦葺きの蔵造り風。館内には靴を脱いでスリッパに履き替え、陳列ケースは木製、採光にも紙障子が使われているなど、純和風の空間です。渋谷から2駅の駒場東大前から徒歩5分という恵まれた立地。1階にはショップもあり、様々な民芸品や書籍などを取り扱っています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2011年7月8日 ]