日本に対して友好的なことでも知られるトルコ。両国の交流は、1873年に岩倉使節団・団員の島地黙雷(西本願寺僧侶)と、福地源一郎(ジャーナリスト、戯曲家)が、イスタンブルに訪問したことから始まります。
両国の友情を深めたのが、1890年のオスマン帝国軍艦・エルトゥールル号遭難事故。紀伊半島沖での事故に、地元の人々は献身的に救難・介護にあたったほか、義援金を野田正太郎(時事新報記者)と、山田寅次郎(商人、後に茶道宗徧流第八代家元)がトルコヘ持参。両国友好のシンボルになりました。
オスマン帝国の頃よりトルコ人に愛されてきた「チューリップ」に焦点を当てた本展では、トプカプ宮殿博物館が所蔵する16世紀から19世紀までの宝飾品、美術工芸品などを紹介。そのほとんどが初来日です。
チューリップは、トルコ語で「ラーレ(lâle)」と呼ばれています。アラビア文字でラーレの文字配列を組み替えると、イスラム教の神のアッラーという言葉に。さらに、アラビア文字で表記されたラーレを語末から読むと、トルコ国旗のシンボルでもある三日月(ヒラール)という言葉に変わります。
会場は3章構成。第1章「トプカプ宮殿とスルタン」では、スルタンが愛用した宝飾品を展示。《宝飾兜》は、よく見ると細かくチューリップが描かれています。単眼鏡を持ってご覧ください。
第2章は、「オスマン帝国の宮殿とチューリップ」。ここでは、チューリップ文様で飾られた宮殿生活が紹介されています。
《サーイェバーン》は、2本の柱で支えられる日陰用テント。スルタンや高官たちが、即位や祝宴での観覧、遠征で本陣のテントが組み込まれる前の休憩場として使用しました。主要モチーフの大きな円文の中心には、太陽と三日月が。この二つのモチーフは、国家の威厳と規範を示しています。
第3章「トルコと日本の交流」では、日本からトルコへ送られた品々が展示されています。左二つの存在感のある大きさと光沢のある有線七宝の花瓶は、尾張(愛知)地方のもの。
右側の青い花瓶は有田焼です。花瓶の胴には、鹿と西洋で好まれる森の描写が。ヨーロッパの画法に注意を払いつつ、日本らしさもある花瓶。波打った口もおしゃれです。
トプカプ宮殿内を思わせる展示空間も必見。ミュージアムショップも充実していますので、ぜひ。東京展終了後に、
京都国立近代美術館へ巡回します。
[ 取材・撮影・文:静居絵里菜 / 2019年3月19日 ]