子どもの健やかな成長を祈る桃の節句・雛祭り。芸術文化への造詣が深かった三菱の創業家である岩崎家のゆかりのお雛さまを紹介する展覧会が、静嘉堂文庫美術館で開催中です。
静嘉堂文庫美術館「お雛さま ─ 岩﨑小彌太邸へようこそ」会場入口
平安時代に「ひひなあそび」からはじまった雛祭りですが、女児の誕生を祝して3月3日に雛人形を飾る江戸の町の年中行事となったのは、江戸時代中期以降です。会場では、幕末明治の雛祭りの様子を窺うことができます。
プロローグ 江戸の雛祭り
gallery3の中央に現れる豪華な雛人形は、1923年の関東大震災後、岩崎小彌太が孝子夫人のために京都の老舗・丸平大木人形店に特注したもので、昭和4年(1929)に竣工した小彌太の麻布鳥居坂本邸の客間で披露されました。贅を尽くした雛人形は、製作に3年かかったと推定されています。
《岩崎家雛人形》 五世大木平藏 昭和前期(20世紀)
胡粉塗りがされた木彫りに足腰に間接がついた“三つ折れ”で、鮮やかな装束が目を引く人形たち。幼児のプロポーションをした雛人形は、稚児雛(おこぼ雛)とも呼ばれています。
雛人形の後ろに配された、川端玉章による高さ3mもの「墨梅図屏風」は初公開となりました。黒梅の描かれた金屛風の裏面の裏貼紙には、岩崎家の家紋の「重三階菱」が箔押しされ、こちらも特注品であったことが分かります。
《岩崎家雛人形》 五世大木平藏 昭和前期(20世紀)
鳥居坂本邸は、残念ながら第二次世界大戦で焼失してしまいますが、会場には戦火を免れた品々も展示されています。 白蓮が咲き、鷺や蝶が舞う鮮やかな濃紺の壺は、昭和14年の小彌太還暦祝賀会の際に食堂の棚に飾られたものです。
《法花蓮池水禽図壺》 明時代(15~16世紀)
這い這いする幼児の姿を木彫にした「這子人形」は、孝子夫人が愛玩したもの。着物には春駒や鯛車が刺繍でデザインされ雛人形と同様、五世大木平藏によってつくられたものです。
《這子人形》 五世大木平藏 昭和時代初期(20世紀)
吉野山の満開の夜桜を描いた茶壷は、京焼色絵の大成者となった野々村仁清による一品。肩には金雲、山裾には金の霞を表した、蒔絵を思わせる煌びやかな意匠が際立ちます。
《吉野山蒔絵十種香道具箱》 江戸時代(18世紀)
関東大震災後、しばらく京都に滞留した小彌太夫妻は、表千家惺斎宗匠(1863~1937年)と高弟・久田宗也(1884~1946)から茶道を学びます。大正13(1924)年には、京都の南禅寺の別邸に茶室「巨陶庵」を営み、より一層芸術文化への造詣を深めました。
複製「岩﨑小彌太俳画色紙」大塚巧藝社製
道入(樂家三代) 《赤樂茶碗 銘 ソノハラ》 江戸時代(17世紀)
実業家としての多忙な職務を遂行しながら同時代の芸術家を支援してきた小彌太。小彌太夫妻の芸術に対する想いを感じることができます。
次回の展覧会「明治美術狂想曲」では、初めて重要文化財に指定された橋本雅邦「龍虎図屛風」や、論争を巻き起こした黒田清輝「裸体婦人像」など、現代の“美術”につながる明治の美術を紹介されます。
[ 取材・撮影・文:坂入 美彩子 2023年2月17日 ]