やや敷居が高く思える書の展覧会ですが、タイトルで堂々と「よめないけど」と宣言する大胆なこころみ。
館蔵の書の名品で、肉筆の書ならではの魅力を紹介する展覧会が、根津美術館で開催中です。
根津美術館「よめないけど、いいね!」展
会場は4章に分かれており、1章「写経」から。仏教の経典を書き写した写経。奈良時代には、誤りなく写すことが重要視されました。
正確を期すために、人を替えて2度・3度と校正し、誤字や脱字があれば罰金が科せられました。
《大般若経 巻第二百六十七(神亀経)》の巻末には、初校・再校の担当者名も記されています。
重要文化財《大般若経 巻第二百六十七(神亀経)》奈良時代 神亀5年(728)
《賢愚経断簡(大聖武)》は、釈迦の骨を漉き込んだ「荼毘紙」に書かれたもの。
もちろん本当は骨ではなく、紙の原料であるマユミの木の粒子を釈迦の骨に見立てています。
江戸時代には聖武天皇筆とされ、「大聖武」と名付けられました。
《賢愚経断簡(大聖武)》伝 聖武天皇筆 奈良時代 8世紀
2章「古筆」は、平安〜鎌倉時代の「古今和歌集」や「和漢朗詠集」などの歌集の巻物や冊子のこと。分割されたものは古筆切と呼ばれます。
《伊予切(和漢朗詠集 巻上断簡)》は書かれた漢詩を正しく読むため訓点がつけられています。豪華な古筆に躊躇なく加筆した人は誰だったのでしょうか。
重要美術品《伊予切(和漢朗詠集 巻上断簡)》伝 藤原行成筆 平安時代 11世紀
《尾形切(業平集断簡)》は料紙が実に見事。雲母(きら)で文様を擦り出した、和製唐紙です。光の角度によって文様が浮かび上がるさまは、まるで綾織物のようです。
尾形光琳の家に伝来したことから、この名で呼ばれます。
《尾形切(業平集断簡)》伝 藤原公任筆 平安時代 12世紀
3章の「墨蹟」は、禅宗の僧侶による筆蹟のこと。茶の湯の世界では墨蹟はもっとも大事な茶道具とされましたが、墨蹟は難解なたとえや引用も多いので、よむのは容易ではありません。
《無学祖元墨蹟 附衣偈断簡》は、冒頭の5行と小字部分の1行目が切りつめられています。茶の湯の床に飾るためとはいえ、最初から読むことを放棄しているともいえます。
重要文化財《無学祖元墨蹟 附衣偈断簡》鎌倉時代 弘安3年(1280)
《一休宗純墨蹟 偈頌》は一休宗純による墨蹟。一休さんといえばとんちのイメージですが、これは17世紀につくられたもの。実ざよ一休は奇行や破戒で知られ、当時の禅僧を厳しく批判する一面を持っていました。
書からも、一休の激しさが伝わってくるようです。
重要美術品《一休宗純墨蹟 偈頌》室町時代 康正3年(1457)
最後の4章「さまざまな書蹟」では、桃山時代から江戸時代まつあまでに活躍して人々によるさまざまな書蹟が展示されています。
《和歌色紙》は本阿弥光悦によるもの。光悦は古筆切の料紙装飾に魅せられ、再生させました。
《和歌色紙》本阿弥光悦筆 桃山時代 17世紀
尾形光琳・乾山兄弟の父が尾形宗謙。高級呉服商・雁金屋の主人です。
宗謙は本阿弥光悦の高弟である小島宗真に学びました。《新古今和歌集抄》は宗謙の代表作のひとつです。
《新古今和歌集抄》尾形宗謙筆 江戸時代 寛文12年(1672)
作品のキャプションにも「600巻、わたしひとりで書きました」「本当に酔って書いたのかも」など、初心者向けのひとことが添えられ、気軽な雰囲気です。
展示されている書は、新しいものでも江戸時代。古いものは8世紀の奈良時代に書かれたものなので、実に1200年以上にわたって大切に伝えられてきました。
読めなくても臆することはありません。まずは、先人たちの思いを感じていただければと思います。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2022年7月21日 ]