冠位十二階や憲法十七条などの制度を整え、日本の文化的な基盤を築いた聖徳太子(574-622)。法隆寺は、推古天皇15年(607)、仏教の真理を追究した聖徳太子によって創建されたと伝わります。
今年は聖徳太子の1400年遠忌。法隆寺で護り伝えられてきた寺宝を中心に、太子その人と太子信仰の世界に迫る展覧会が、東京国立博物館で開催中です。
東京国立博物館「聖徳太子と法隆寺」会場
展覧会は第1章「聖徳太子と仏法興隆」から。仏教が伝わったのは、聖徳太子の祖父にあたる欽明天皇の時代。太子が政治の中心的な立場になると、仏教は急速に浸透していきました。
威厳と存在感に満ちた重要文化財《菩薩立像》は、飛鳥時代前期を代表する名品。山形の高い宝冠、面長の顔、魚のヒレのように広がった衣の表現など、金堂釈迦三尊像の両脇侍と似ています。
重要文化財《菩薩立像》飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺蔵
続いて第2章は「法隆寺の創建」。聖徳太子は自らが住む斑鳩宮に隣接して法隆寺を創建。その名が意味するように、法隆寺は「仏法興隆」を推し進める中心地となります。
国宝《灌頂幡》は、天蓋がついた豪華な幡。幡(ばん)は仏教の儀式で用いる旗で、現存する他の幡が全て織物製なのに対し、こちらは金銅製の透彫。文字資料を含めて他に類例がありません。天上から舞い降りる菩薩の姿が表現されています。
国宝《灌頂幡》飛鳥時代・7世紀 東京国立博物館蔵(法隆寺献納宝物)
会場構成の関係で、次は第4章「聖徳太子と仏の姿」。平安時代には太子が救世観音の生まれ変わりとみなされるようになり、太子自身が信仰の対象になっていきます。
国宝《聖徳太子および侍者像》は聖徳太子の500年遠忌に制作された、法隆寺聖霊院の本尊。通常では拝観できない秘仏です。聖徳太子の威厳に満ちた姿とは対照的に、周囲の侍者はユーモラスな表情です。
国宝《聖徳太子および侍者像》平安時代・保安2年(1121) 奈良・法隆寺蔵
第2会場に進むと、第3章は「法隆寺東院とその宝物」。太子が住んだ斑鳩宮の跡地に、天平11年(739)に建立されたのが東院伽藍。中心をなす夢殿の本尊は太子等身の救世観音像、創建にあたっては太子の遺品類も集められるなど、太子信仰の重要な拠点になりました。
荒廃していた斑鳩宮の地に、東院伽藍を建立したと伝えられるのが奈良時代の僧・行信。威厳ある姿を写実的に表現した国宝《行信僧都坐像》は、奈良時代肖像彫刻の傑作のひとつです。
国宝《行信僧都坐像》奈良時代・8世紀 奈良・法隆寺蔵
最後は第5章「法隆寺金堂と五重塔」、展覧会の最大の見せ場です。金堂と五重塔ゆかりの仏像を中心に、荘厳な世界が紹介されます。
国宝《薬師如来坐像》は、金堂東の間の本尊。口もとに微笑みを浮かべた神秘的な顔立ち、文様的な裳懸座(もかけざ)と、飛鳥時代を代表する仏像のひとつです。光背背面の銘文によると607年の造立ですが、もっと後に完成した仏像より鋳造技術は進んでおり、謎も残ります。
国宝《薬師如来坐像》飛鳥時代・7世紀 奈良・法隆寺蔵
展覧会にあわせて平成館1階のガイダンスルームでは、特別企画「国宝 救世観音・百済観音を8K文化財で鑑賞」も開催中。形状データに数百枚の高解像度画像を組み合わせて、法隆寺の国宝救世観音菩薩像と国宝百済観音像を3DCGで作成。まるで実物がそこにあるかのような鑑賞体験ができます。あわせてお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年7月12日 ]
※会期中展示替えあり