モネが
《ラ・ジャポネーズ》で描いたように、日本美術の象徴的な存在といえる扇。ただ、美術館で扇そのものをテーマにした展覧会が開かれるのは珍しく、サントリー美術館では開館翌年の1962年に「扇面と団扇」展が開催されて以来、56年ぶりとなります。
会場冒頭には、美しい3点の扇。明治11年(1878)のパリ万博に出品された、百本一組の扇面画コレクションの一部です。日本美術の水準を扇で示そうとした明治政府。選ばれた扇面画は、時代・絵師ともに、非常に幅が広い事も注目されます。
扇を大きく分類すると、薄い板を綴じ重ねた「檜扇」と、竹骨に紙や絹を張った「紙扇」になります。扇は儀礼で使われたほか、仏像の納入品にもなりました。願主が臨終した際に熱地獄を免れるため、と考えられています。
扇と相性が良いのが、水流です。美しい扇を川に流して興じる「扇流し」のほか、扇の背後に流水や波を描く「扇流し図」も数多く見られます。
鎌倉時代の仏教説話集《長谷寺験記》には「出家した夫の行方を探していた妻が、川に流れてきた扇から、その場所を知る」という、ロマンチックなエピソード。ここでの扇は、運命の小道具です。
扇は10世紀末から大陸に広まり、日明貿易では主要な輸出品になりました。国内でも贈答品として用いられたため、大量に生産される事に。室町時代の14世紀半ばには、店頭でも売られるようになりました。
会場では、扇を注文した際のレシートにあたる資料も展示されています。展覧会の趣旨は「扇面画」ではなく「扇」。文化史の中での扇の位置づけを考察します。
もちろん、扇には美術品としての意味合いもあります。長大な物語を扇面で表現する際は、名場面をダイジェスト的に描く事に。画面が小さいため、モチーフは厳選され、整理されたイメージが人々の間に広まっていきました。
江戸時代になると扇の需要はさらに広まり、「扇売り(地紙売り)」と呼ばれる行商人も登場します。幕府御用達の狩野派から新興の流派まで、あらゆる絵師が扇絵を手掛け、新しいモチーフや構図が次々に登場。扇の世界は、飛躍的に拡大していきました。
展覧会名「扇の国、日本」は、二ホンではなくニッポンと読ませます。あえてニッポンと読ませる理由は、会場最後で分かります。答えはサントリー美術館でご確認ください。
本展の担当は、サントリー美術館主任学芸員の上野友愛さん。オヤジギャグっぽさが溢れるキャッチコピー「せんすがいいね」は、うら若き上野さんによる命名との事。ちょっと意外でした。
東京展の後に、山口県立美術館に巡回します(2019年3月20日~5月6日)。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2018年11月27日 ]※会期中に展示替えがあります