展示の中心は女性ファッション。世界的に評価が高い京都服飾文化研究財団(KCI)が所蔵するドレスを、約20年ぶりにまとまったかたちで紹介していきます。
展覧会は3章構成、1章は横浜についてです。
以前は小さな漁村だった横浜。開港は外圧に屈したものですが、結果として横浜を国際都市に引き上げる事となりました。
外国との交流が増える中で、横浜では輸出向けの産業が発展します。上質の絹織物、真葛焼や横浜焼などの陶磁器、精緻な芝山細工などが海外で高い人気を集め、横浜から続々と輸出されていきました。
第1章「東西文化の交差点 YOKOHAMA」第2章は「日本 洋装の受容と広がり」。《昭憲皇太后着用大礼服》はここで登場します。
ドレスは、昭憲皇太后(明治天皇の皇后)が新年の朝賀の際に着用した大礼服。3メートルを超えるトレーンには、大小の菊花が日本刺繍であしらわれています。
近代日本の洋装化は、国策として進められました。新政府のリーダーは渡欧時の経験などから、文明国として認められる第一歩は「洋服を着る事」だと知っていたのです。
軍や官吏・学生などで洋服の導入が早かった男性に対し、女性は遅れ気味。危機感を持った伊藤博文が宮中での洋服着用を推進し、「上からの改革」として洋装化が進みました。
《昭憲皇太后着用大礼服》庶民レベルまで女性の洋装化が進んだのは意外と遅く、1923(大正12)年の関東大震災の後から。和服のままネックレスや指輪をつけるなど、和様折衷の装いも多く見られました。
新しい女性の姿は、芸術家たちも刺激しました。江戸時代の花魁がそうだったように、ファッションリーダーの女性は浮世絵の定番モチーフです。上流階級の洋装の女性は、楊洲周延や月岡芳年らが錦絵にしています。
岡田三郎助、山本芳翠、山本耕花、鏑木清方らの洋画家や日本画家も、洋装の女性を描いています。
第2章「日本 洋装の受容と広がり」一方で、西洋にとっても長い間閉ざされていた日本の文化は、大きなインパクトを与えました。「ジャポニスム」ブームの到来です。
テーブルウェアや調度品に日本風のテイストが取り入れられたように、ファッションの分野でもジャポニスムは大きな影響を与えました。ウォルトやシャネルなど、名だたるメゾンがこぞってきものから着想したドレスを作っています。
もちろん、絵画にもジャポニスムの影響が及んだのはご存じの通り。会場には日本風のファッションに身を包んだ女性像も展示されています。
第3章「西洋 ジャポニスムの流行」「国策でファッションを決める」のは、現代の感覚では理解できませんが、明治の末に、非白人国として唯一、列強の仲間入りを果たしたのは日本です。躍進の裏でファッションが果たした役割は、小さくなかったのかもしれません。
横浜美術館でファッションを中心とした展覧会が開催されるのは、本展がはじめてです。華やかな会場をお楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2017年4月14日 ]■ファッションとアート 麗しき東西交流 に関するツイート