1974年、干ばつに見舞われていた中国・陝西省で、地元の農民がやむなく井戸を掘り始めたところ、そこには見たことが無い陶器の破片が。考古学では20世紀最大の発見とされる兵馬俑は、全くの偶然から発見されました。
「兵馬俑」の名を含むタイトルの展覧会は今までに6回開催されていますが、意外な事に国立博物館では今回が初めて。まず第1章では、秦が巨大帝国になるまでの軌跡が紹介されます。
秦より前の中国は、各地で諸侯が並び立っていた緩やかな体制でした。西方の小勢力だった秦は戦国時代に勢力を拡大し、始皇帝の曽祖父が中国の西半分を平定。嬴政(えいせい:統一前の始皇帝の名)が秦王に付くと、わずか9年で周辺諸国を制圧。ついに中国統一を成し遂げました。
展示されている資料を見ると、秦は周辺国の文化を取り入れる柔軟さも持っていた事が分かります。
第1章「秦王朝の軌跡 周辺の小国から巨大帝国へ」続いて、始皇帝の実像に迫る第2章。始皇帝は王を超えた存在として「皇帝」という称号を創出し、度量衡や文字を統一。全国に自らが任命した長官を配し、強力な中央集権体制を築きました。
秦の都は、咸陽です。出土した魚形や円盤形の陶鈴は型を用いて作られてたもので、流行した玩具と考えられています。
目を引くのは、巨大な水道管と取水口。大雨が降っても広場に水を溜めずに地下に排水させるもので、2200年前の高度な技術に驚かされます。
第2章「始皇帝の実像 発掘された帝都と陵園」ホールを挟んで向かい側の展示室から、いよいよ本番。まずは1980年に発掘された青銅製の「銅車馬」2種の紹介からです(展示は複製品)。
大きさは実際の半分程度ですが、御者の装束から馬車の小物まで、細かな部分も表現。発掘された場所は始皇帝陵墳丘のすぐそばだったため、始皇帝の霊魂をのせて旅に出るために副葬されたものとみられています。
銅車馬お待たせしました、兵馬俑は会場の一番最後に登場します。指揮官と思われる「将軍俑」、鎧を身に着けた「軍吏俑」、軽装の「歩兵俑」、弓・弩を射るポーズをとる「立射俑」「跪射俑」など、バラエティ豊かな陣容です。
一般に兵馬俑は「等身大」と表現される事が多いですが、その解釈はやや不正確。確かに顔つきには差異がみられますが、並んだ兵士の背丈はほぼ同一の事から、生産効率も考慮し規格化して作られた可能性が指摘されています。
間近で見ると、まさに「凛々しい」という形容がぴったり。一方で(あたり前ですが)顔つきが東洋系なので、なんとなく親しみやすさも感じます。
兵馬俑数千の兵に守られ、死後の世界でも支配者である事を夢見た始皇帝。その威容が体感できるよう、兵馬俑が並んで出土した「兵馬俑坑」もレプリカで再現されました。
さらにその一角には、記念撮影コーナーも設置(東京国立博物館の企画展としては初の試みです)。公式サイトではインスタグラムを利用して投稿写真も募集しています。
東京国立博物館での展示は2月21日(日)まで。
九州国立博物館(3/15~6/12)、
国立国際美術館(7/5~10/2)に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年10月26日 ]■始皇帝と大兵馬俑 に関するツイート