臨済宗相国寺派の大本山で、京都五山の一つ、相国寺は明徳3年(1392)に足利義満によって建立されました。それから六百年以上の間、相国寺は春屋妙葩や鳳林承章らの高僧、さらには周文や雪舟ら巨匠など、日本文化を代表する人々の集った寺院であり続けて今日に至っています。
江戸時代の中頃にも、相国寺は稀有な才能を持つ画家との縁を結んでいました。その画家こそ、「奇想の画家」として、近年再評価が進み、高い人気を誇るようになった伊藤若冲その人です。若冲は京都・錦小路の大きな青物問屋の長男として生まれながらも商売を好まず、ひたすら絵を描く事だけを好んで絵に没頭していました。
この時期に相国寺の第113世の住持を務めた梅荘顕常(大典禅師)と知り合ったことは若冲の人生にとって転機でした。若冲は大典の人格、学識に傾倒して、在家のままで禅の修行に励んだほどでした。この両者の交流が深まったのが、若冲の最高傑作として名高い「釈迦三尊像」「動植綵絵」全33幅です。
若冲が古典を模写した「釈迦如来像」「文殊菩薩像」「普賢菩薩像」の3幅と、仏を取り巻く様々な動植物が極彩色で描かれた「動植綵絵」は、若冲が四十代前半から五十代前半の十年間を費やして描きあげ、亡き両親と弟、そして自分自身の永代供養を願って相国寺に寄進した作品です。
以降、相国寺では年中行事の中でも最も重要な儀式の一つである「観音懺法」の時にこの作品を飾り、若冲の遺志に報いてきました。しかし、このうち「動植綵絵」は明治22年(1889)に皇室へ献納され、以来33幅が一堂に展示されたことは今まで一度もありません。
折しも今年は、相国寺の開基、足利義満の没後六百年にあたります。本展はこの記念すべき年にあたって「動植綵絵」全幅を宮内庁三の丸尚蔵館より拝借し、「釈迦三尊像」と、そして相国寺とのおよそ120年ぶりの「再会」が実現するものです。さらに相国寺の塔頭である鹿苑寺(金閣寺)の大書院に描かれた、若冲の水墨画の代表作である重要文化財「鹿苑寺大書院障壁画」全50面の一括展示や、新発見作品を含むその他の若冲、大典ゆかりの作品多数を加えた展覧会です。この歴史的な、そして空前絶後の機会を存分にお楽しみ下さい。