牧野邦夫は大正末の1925年生まれ。昭和61(1986)年に亡くなったので、その生涯は昭和時代とほぼ重なります。戦後の前衛的な美術の流れに背を向けるように美術団体には属さず、数年置きに個展で作品を発表していたこともあり、一部の好事家を除くと、注目を集める存在ではありませんでした。
その作品は、みっちりとした濃密な写実。後年に入ると作品の幻想性も強くなりますが、その真骨頂は確実な人体描写です。美校では「必要ない」とまで言われた美術解剖学を、図書館や博物館に通って研究していた牧野は、骨の上に正確に筋肉を盛り付け、生命の存在感を確かめるように描き込みます。
《立てる千穂》 / ちなみに千穂さんは牧野の奥様展覧会の冒頭で紹介されているのは、《未完成の塔》。画面下部が細部まで描きこまれているのは対照的に、上部は雲の中のようにボヤけたまま。塔の最上部はキャンバスからはみ出ている、不思議な作品です。
生涯にわたってレンブラントを慕い続けた牧野。「63歳で死んだレンブラントに自分は30年遅れているため、90歳代まで生きる」と目標を立て、この作品は10年で1層づつ描くべく、50歳から描き始めました。実にこの作品は、その後40年かけて描きあげようと思っていたわけです。
《未完成の塔》 / 結局、描かれたのは2層目の途中まで。キャンバスの裏には制作の経緯も書かれていますレンブラントがそうであったように、牧野も大量に自画像を描きました。ただ、レンブラントの自画像は年齢的にも多彩な表情を描いたのに対し、牧野の自画像はどれも似たような表情。仮面のような印象も感じさせます。
牧野のレンブラント好きは、異常といえるほど。牧野のアトリエに残されていた「先生への手紙」は、レンブラントに宛てたもので(もちろん、レンブラントは300年前に亡くなっています)、驚くべきことに、自分で書いた「レンブラントからの返信」も見つかっています。
数々の自画像1980年に描かれた《インパール》は、高木俊朗が著した「インパール」に触発された作品。凄惨な複数の場面が描かれ、息苦しくなるような大作です。
牧野自身も、美校在学中に学徒出陣しています。九州で終戦を迎え、帰郷の途中で被爆後まもない広島も目撃しました。
《インパール》巨大な展覧会ではなくとも、強くに印象に残る展覧会が年にいくつかありますが、本展は間違いなくその中のひとつになることでしょう。本展は山下裕二先生が、練馬区立美術館の野地耕一郎主任学芸員に声をかけて実現したもの。この鬼才を再発掘していただいたお二人には、改めて敬意を表したいと思います。
会期中には現代の写実画家である五味文彦さん、諏訪敦さん、石黒賢一さん、そして山下先生によるギャラリー・トークも開催されます。(取材:2013年4月13日)