2024年はペリーが横浜に来航して170年になります。上陸した場所にあった木は、横浜開港資料館中庭の「たまくすの木」と伝わっています。この木は幕末から今日まで、大火災や大震災など災難を乗り越えながら歴史を見つめてきた横浜のシンボル的な存在です。
たまくすの木
歴史の教科書でもおなじみの「ペリー提督・将兵 横浜上陸図」は横浜開港資料館の建つ場所が描かれています。現在、こちらではこれまでに収集してきた、ペリー提督と横浜とのつながりを紹介する資料を特別公開。今回は、「横浜上陸図」をはじめとした当館所蔵の貴重な資料も公開されています。この機会にぜひご覧ください。
会場風景
たまくすの木
「ペリー提督・将兵 横浜上陸図」の右側の大きな木が「たまくすの木」。横浜開港資料館が所蔵する石版画は2016年の修復後、初公開されました(実物は7月28日まで。現在はパネル展示)。
「ペリー提督・将兵 横浜上陸図」
ハイネが描いた遠征記録
ペリーは来航後『ペリー提督日本遠征記』に航海をまとめました。その中の見ごたえある豊富な挿絵を描いたのが、遠征に同行した画家・ハイネです。ハイネは遠征を記録した本も出版しドイツ語、オランダ語、フランス語版が翻訳されています。また挿絵は画集としても発行されました(写真左)。
ハイネの遠征記録
条約交渉の記録
アメリカとの条約締結の際、横浜応接所で交渉したのが主席全権委員を務めた林大学頭(林覆斎)です。その従者だった「竹田鼎」は日記に交流の様子を記録していました。応接所に入ったアメリカ人の名前・船名など詳細に記載されています。
条約交渉の記録
応接図の見取り図も、現場に同席し配膳なども経験しながら書いたので、記録としては大変貴重なもの。またこの資料は展示の機会も少ないので必見です。
ペリーから伝わったモノ
日米交渉のためにアメリカは、電信機や機関車のプレゼントを用意したことはよく知られています。その裏で公式記録には残っていませんがペリーから下級役人に贈られたと伝わる時計もあります。時計が贈られた経緯がパネルで紹介されており、ペリーと日本人との心の結びつきが伺えます。
ペリーが贈った時計
ペリーから伝わったとされるモノは「展示室2」にも特設コーナーがあります。皿や望遠鏡が展示されています(8月15日まで、現在は別のミニ展となっております)。
ペリーから伝わったモノたち
横浜市は1989年のペリー来航135年、横浜博覧会の来賓としてペリーのご子孫をご招待。軍服が横浜市に寄贈され、横浜開港資料館に収蔵されています。2005年にはご子孫20人が横浜市を訪問し、当館の「たまくす」の見学もされました。
ペリーご子孫からの贈り物
ペリー来航時、下級役人とも交流があったことや、今も横浜とぺリーのつながりが続いていることが資料から伝わってきます。
締結の地に建つ横浜開港資料館の隣には「日米和親条約締結の地」が「開港広場」として整備され石碑が立ちます。170年前のペリーの一歩は、旧英国領事館や樹木、広場として当時の姿をつなぎます。節目の年、ペリーが踏みしめた場所に立ち、貴重な資料を前に、日本人とペリーの交流に思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
日米和親条約締結の碑
[ 取材・撮影・文:コロコロ / 2024年7月23日 ]