19世紀フランスを代表する画家のひとり、ギュスターヴ・クールベ(1819−1877)。あるがままの現実を描くレアリスムの巨匠は、故郷の大自然や動物、ノルマンディーの海などを卓越した技術で表現しました。
クールベが1860年代以降に集中的に取り組んだ「波」の連作を中心に、クールベの風景画家としての側面に焦点をあてた展覧会が、パナソニック汐留美術館で開催中です。

パナソニック汐留美術館「クールベと海展 -フランス近代 自然へのまなざし」会場入口
クールベは1819年、フランシュ=コンテ地方オルナン生まれ。オルナンはスイスとの国境に近い山間の地で、クールベは20歳でパリに上京してからも、頻繁に帰郷してはこの地を描いています。
《岩のある風景》は、オルナン近郊に流れるルー川の渓谷に位置する小村、ムーティエ=オート=ピエールにある奇岩「ル・モワーヌ・ド・ラ・ヴァレ」(谷間の坊主岩)を描いた作品です。剥き出しになった石灰岩質の崖など、この地の特徴がパレットナイフで描かれています。

第1章「クールベと自然―地方の独立」 (左から)ギュスターヴ・クールベ《岩のある風景》ポーラ美術館 / ギュスターヴ・クールベ《ブー・デュ・モンドの滝》1864年 個人蔵
オルナンは大自然に恵まれ、自身も秋には狩猟を楽しんだ事から、クールベにとって野生の動物は身近な存在でした。
《狩の獲物》は、クールベが1857年のサロンに出品した狩猟画の縮小版。分け前として猟犬に獲物の一部を与える前の儀式が行われており、仕留められる動物を讃えるために演奏されたホルンも描かれています。
この章では同時代のバルビゾン派の画家たちが描いた家畜の絵も展示、野生の動物の描き方との比較も楽しめます。

第2章「クールベと動物―抗う野生」 (左から)ギュスターヴ・クールベ《狩の獲物》1856-62年頃 個人蔵 / ギュスターヴ・クールベ《雪の中の狩人》1866年 公益財団法人 村内美術館
18世紀から19世紀にかけて、西洋では自然の捉え方が変わっていきました。それまでの時代の海景画では、海は国の富を象徴する目的で描かれましたが、この時代になると海そのものが観賞の対象になったのです。
クロード=ジョゼフ・ヴェルネは、18世紀で最も著名な海景画家のひとりです。このような嵐の海の表現は人気を集め、人々の海の見方を変えてしまったといわれます。

第3章「クールベ以前の海―畏怖からピクチャレスクへ」 (左)クロード=ジョゼフ・ヴェルネ《嵐の海》1740年頃 静岡県立美術館
海水浴は、もとはイギリスで療養として始まりましたが、次第にレジャーに。19世紀前半にはフランスの特権階級に広まり、パリからの鉄道が広まると市民にも親しまれるようになりました。畏怖や崇高の対象だった海は、身近な存在になったのです。
クールベと同時代の画家で海を描いているのはブーダンやモネ、カイユボットなど。《浜辺にて》はブーダンの作で、ノルマンディー沿岸部の町トゥルーヴィルの浜辺に憩う人々を描いています。女性たちの姿は日傘や帽子、華やかな衣服で、当時の浜辺は社交の場であったことがわかります。

第4章「クールベと同時代の海―身近な存在として」 (左から)ウジェーヌ・ブーダン《浜辺にて》 個人蔵 / ギュスターヴ・カイユボット《トゥルーヴィルの別荘》1882年 東京富士美術館
山あいの村で育ったクールベが初めて海を目にしたのは、22歳の時。両親に宛てた手紙では、海を「奇妙なもの」と表現しています。
その20数年後、クールベは毎年のようにノルマンディーの海岸に出かけ、生涯に海の絵を100点以上も描きました。最終章では、クールベの海景画11点を一堂に展観します。
荒々しい波の姿は、海の一瞬を切り取った風景であると同時に、故郷の山岳風景との類似も指摘されています。

第5章「クールベの海―『奇妙なもの』として」 (左から)ギュスターヴ・クールベ《波》1870年頃 姫路市立美術館(國富奎三コレクション) / ギュスターヴ・クールベ《波》1869年 愛媛県美術館 / ギュスターヴ・クールベ《波》1869年 島根県立美術館
自然を理想化する芸術を否定し、印象派への道を切り開いたクールベ。反体制的な行動でスキャンダラスな作品も多数残しましたが、その根本にある卓越した画力にはあらためて驚かされます。
山梨、広島と巡回して本展が最終会場になります。お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2021年4月16日 ]