ホンモノに対するニセモノに良いイメージはありませんが、例えば博物館にレプリカ(一種のニセモノ)が欠かせないように、社会の中でニセモノの価値が認められる場合もあります。
本展はニセモノを扱いながらも、そのプラスの側面に光を当てた企画。いわば「正しいニセモノ」を考察していく試みです。
会場に入ると、まず頭のトレーニング。ずらっと並んだ大判・小判の中には、1枚だけホンモノが混ざっています。
会場入口から続いて、書画のニセモノ。ホンモノの価値が高い所でニセモノは生まれるため、ニセモノには地域性があります。
千葉の旧家では、江戸で活躍した谷文晁。山口では吉田松陰の書。兵庫では、姫路藩主の家に生まれた酒井抱一。家の格式を高めるために、地域に関わりが深い人の書画が重用されたのです。
ニセモノの書画には地域性があります12世紀に北宋で焼かれた天目茶碗。鎌倉時代にはその需要が高まり、瀬戸で天目茶碗を模倣した陶器が作られました。
素焼きの土器を燻した「瓦質天目」は、正確なコピー品。釉薬が垂れた雰囲気まで忠実に写し取ったものもあります。
これらは意外にも守護大名など高い身分の人にも使われており、ニセモノを許容する懐の深さも感じられます。
天目茶碗とコピー品本展最大の注目が「人魚のミイラ」。幕末から明治時代にかけて日本では盛んに人魚のミイラが作られ、欧米に輸出されていました。
展示されているのは、当時のものを参考に製作された人魚のミイラ。上半身は小さめのサル、下半身は大きめの生鮭を利用。「安い醤油の入った溶液に入れる」「縁の下で乾燥させる」など、驚愕の工程も紹介されています。
人魚は古代から近代に至るまで目撃例が残されており、その骨には薬効があると思われていました。ニセモノではありますが、実在が望まれたために生まれたホンモノ、と言えるかもしれません。
「人魚のミイラ」と、江戸~明治時代の人魚に関する資料地域の社交の場である宴会=接待でも、ニセモノは欠かせません。
招待者を喜ばせるためには、名の通った美術品が必要。展示室には宴会場が再現されていますが、池大雅の屏風、狩野永岳の掛軸、安南陶器(ベトナム製陶磁器)の食器と、全てニセモノ。ただ、地域社会で暮らす上では、これらの書画は立派に務めを果たし、その家の歴史を支えてきたのも事実なのです。
宴会場の調度品は、すべてニセモノインパクトが強い「人魚のミイラ」だけが話題に上りがちな展覧会ですが、ニセモノが求められる社会的な背景にも踏み込んだ意欲展。美術館ではなく、民俗学系の博物館だからこそ成し得たユニークな企画です。
なお、ニセモノといえば思い起こされる「前・中期旧石器時代遺跡捏造事件」についても、歴博としての姿勢を再掲しています。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年3月9日 ]■大ニセモノ博覧会 に関するツイート