特撮テレビ番組「ウルトラマン」シリーズの監督として知られる、実相寺昭雄(1937~2006)。生前は川崎市の百合ヶ丘に在住していた縁で、没後、作品や台本、スケッチ、写真などの関連資料が川崎市に寄贈されました。今回の展覧会では映画・映像作品の資料から愛用品や書画までを展示し、実相寺ワールドを多面的に紹介していきます。
実相寺昭雄は1934年にTBSテレビに入社。ドラマや歌番組を手がけますが、斬新な演出はなかなか理解されませんでした。年末番組では美空ひばりを超クローズアップにしたかと思うと豆粒ほどに小さく撮るという大胆さで、そのスタイルは何度も局内の顰蹙を買い、次第にTBS内での居場所を失ってしまいます。
ウルトラマン撮影時の絵コンテや台本など。そんな実相寺の才能を認めていたのが、円谷一(はじめ)。特撮の神様である円谷英治の長男で、TBSの先輩でもあった円谷一の計らいで実相寺は円谷プロに派遣され、その才能を活かしはじめます。ウルトラマンシリーズでは「故郷は地球」(ウルトラ怪獣はジャミラ)、「怪獣墓場」(同シーボーズ)などを監督。その作品は子ども番組でありながらテーマ性が強く、実験的な手法も取り入れられています。
1979年には11年務めたTBSを退社。同年、監督した映画「無常」はロカルノ国際映画祭でグランプリを受賞するなど、活動の場を大きく広げていきました。その後もCMやテレビ番組、映画などを演出。14歳の薬師丸ひろ子を起用した資生堂の口紅CM、大作映画「帝都物語」など、記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。
自筆の絵画。とても味があります。また実相寺は、十代の頃から東京交響楽団の定期演奏会に足を運ぶなど、熱心な音楽少年でもありました。音楽にまつわる仕事は喜んで手がけており、中でも2005年に手がけたオペラ「魔笛」は、衣装デザインに漫画家(加藤礼次郎)を起用したり、ウルトラ怪獣が登場するなど、大胆な演出は賛否両論を呼びました。ふだんオペラとは程遠い客層を掘り起こすことに成功し、実相寺の死後も繰り返し再演されています。
多趣味で知られる実相寺は、映像監督や音楽関連以外にも小説、紀行文、エッセイの執筆から、果ては食玩「昭和情景博物館」の監修まで、幅広く活躍し続けました。会場には実相寺へのメッセージボードも置かれ、死してなおファンを魅了し続ける実相寺に、数多くのメッセージが残されていました。
川崎市市民ミュージアムは1988年に開館した博物館と美術館の複合文化施設です。博物館は川崎の成り立ちと歩みを考古、歴史、民俗などの資料で紹介、美術館はポスター、写真、漫画、映画、ビデオなど近現代の表現を中心に紹介しています。陸上競技場や野球場、アリーナ施設などを備えた広大な等々力緑地内にあり、ジョギングや散歩に来ている市民の姿も多く見かける、地域に愛されている施設です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2011年7月26日 ]