ディスカバー・ジャパン(以下:DJ)だけでなく、その周辺も俯瞰する本展。展覧会の冒頭も、富士ゼロックスの広告「モーレツからビューティフルへ」の紹介です。話題になった丸善石油のテレビCM「オー、モーレツ」を引き合いに、価値の転換を訴えました。
この広告を作ったのは、後にDJを手掛けた電通プロデューサーの藤岡和賀夫(ふじおかわかお)。特定の商品を宣伝するのではなく、広告で社会的なメッセージを伝える手法は、DJでも用いられました。
富士ゼロックスの広告「モーレツからビューティフルへ」 。雑踏を歩くのはミュージシャンの加藤和彦あまり知られていませんが、DJの直前には、テスト版ともいえるキャンペーン「Make Your Country 東北」が実施されています。
英語のタイトル、不明確な場所、実態とかけ離れたモデルなど、後のDJに繋がる要素が見られるこの広告。中年以上の層からは反発を受けた反面、若者からは高い評価を得ました。
「Make Your Country 東北」DJのキャンペーンが始まったのは、大阪万博閉幕直後の1970年10月。経済成長にひた走った60年代から、新たな時代に入った70年代のアイコン的な存在です。
当時増えつつあった若い女性の少人数・単独旅行にターゲットを定め、キャンペーン地域も東京・名古屋・大阪に限定。「美しい日本と私」をテーマに作られた数々のポスターは、今なお新鮮に感じられます。
ポスターを中心に、100点以上の資料が並びます従来の国鉄の広告は駅・車両内のポスターが主流でしたが、DJは多くの宣伝媒体が用いられました。
上部に協賛ポスターが入ったスタンプ台を、全国1400の駅に設置。無料配布の季刊誌は宣伝ツールであるともに、広告収入源にもなりました。
上野や東京駅など主要30駅には、3年間の期限付きで「ディスカバー・ジャパン・タワー」も設置。タワーにも広告スペースが設けられ、キャンペーンを予算面で支えました。
順にスタンプ台、季刊誌、「ディスカバー・ジャパン・タワー」の写真が入った記念入場券DJを生んだ背景として紹介されているのが、雑誌「アンアン」。こちらは大阪万博開始直前の1970年3月の創刊です。
国鉄の大キャンペーンだったDJは、その影響力が強いこともあり、反発の声も上がりました。強く反発したのは、写真家の中平卓馬。逆に中平の意見に異議を唱えたのは、テレビディレクターの今野勉。伝説的ともいえるキャンペーンを、礼賛一辺倒ではなく負の側面まで紹介していくのは思い切った試みです。
会場の最後は、2006年のキャンペーン「Japanese Beauty ホクリク」と、現在のJR東日本のキャンペーン「行くぜ、東北。」東京駅舎内にある
東京ステーションギャラリーですが、実はここで鉄道に関連する展覧会が行われるのはちょっと珍しく(
鉄道博物館で開催される事が多いです)、東京駅丸の内駅舎が創建されてちょうど100年になる事を記念したものです。
この後も「スペシャル・オープン・ウィーク 駅の美術館で楽しむ13日間」(11/18~11/30)、「東京駅開業百年記念 東京駅100年の記憶」(12/13~3/1)と、記念企画が続きます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年9月12日 ]■ディスカバー・ジャパン 「遠く」へ行きたい に関するツイート