どちらかといえばマイナーな「奇想の画家」だった歌川国芳も、没後150年にあたる2011年の大規模展ですっかり人気が定着した感があります。国芳には数多くの門弟がいましたが、その系譜を最も受け継いだといわれる後継者が、この月岡芳年です。
芳年が国芳の門下に入ったのは、わずか12歳の時。国芳とは41歳も離れていますが、若い時からメキメキと頭角を現しました。
逆さ吊りの女性を切りつけているのは《英名二十八衆句 稲田九蔵新助》芳年の作品で知られているのは、やはり「血みどろ絵」(残酷絵・無残絵ともいいます)。はねられた首、切腹、突き刺さる矢…。おびただしい流血を表現するにあたって、染料に膠を混ぜて血のテカりまで再現しようとしたほど徹底しています。
その強烈な印象には魅せられた文豪も多く、谷崎潤一郎、江戸川乱歩、三島由紀夫などは作品を絶賛しました。
《勝頼於天目山遂討死図》その一方で、血みどろ絵だけに注目が集まりがちな芳年ですが、実は歴史画、妖怪画、美人画などにも多くの名品を残しています。
大病から回復して号を「大蘇」(たいそ)と改めた後には、新聞錦絵(報道の浮世絵)にも着手。中でも西南戦争は格好の題材となりました。実際に戦地に赴いてはいませんが、遠い九州の地で起こっている大事件を想像力豊かに描き、大きな人気を得ました。
西南戦争を描いた新聞錦絵。西郷が舟の上で切腹するなど、史実とは異なる場面も多い本展の目玉としては、新発見の下絵の展示があります。芳年の門人だった水野年方が所蔵していたもので、《袴垂保輔鬼童丸術競図》は下絵と版画が並べて展示されています。
二人の妖術使いの対決を縦長の画面に描いた作品。下絵を見ると、人物や動物の位置を微妙に調整していることが伺えます。また、着物の中の人体の形をきちんと描いた上で絵を構成しており、芳年の確かなデッサン力が見て取れます。
《袴垂保輔鬼童丸術競図》と、その下絵芳年は明治18年に流行浮世絵師ランキングの首位になるなど庶民に愛された画家ですが、明治25年に54歳で亡くなりました。その画業は晩年になるほどに冴え渡っており、「あと20年長生きすれば浮世絵の歴史は変わっていたはず」と、担当の日野原健司・主幹学芸員が話していたのが印象的でした。
なお、冒頭で書いた「逆さ吊りの妊婦を前に…」の作品《奥州安達がはらひとつ家の図》は、後期展示。前後期で作品はほぼ総入れ替えとなり、あわせた240点で芳年の代表作が網羅できます。10月と11月、2度に分けてお楽しみください。(取材:2012年10月1日)