「ゆきむら」ではなく「せっそん」です。 と、チラシで宣言しているように、知名度が高いとはいえない雪村。水墨画といえば雪舟が高名なだけに、割を食っている感もあります。ちなみに雪舟と雪村は直接の繋がりは無く、活躍した時代もやや異なります(雪村の方が後です)
雪舟は中央画壇(京都)で活躍しましたが、雪村のフィールドは東国。常陸で生まれ、会津、鎌倉、小田原、三春で活動しました。
会場は6章構成。雪村は武家に生まれ、後に出家して画業の道へ進みます。50歳代半ば過ぎてから会津へ、さらに小田原・鎌倉へと足を延ばし、禅宗の文化に触れる中で雪村の画技は飛躍的に向上していきました。
第1章「常陸時代 画僧として生きる」、第2章「小田原・鎌倉滞在 ─ 独創的表現の確立」会津と三原を拠点にしていた奥州滞在期が、雪村の絶頂期。仙人が龍と問答しているさまを描いた重要文化財《呂洞賓図》は、雪村の代名詞です。
会場には展覧会メインビジュアルのほかに、構図が異なる《呂洞賓図》も初公開。こちらは後年の絵師にも模写されています。
重要文化財《松鷹図》も著名な作品です。堂々とした鷹の描写は、記念切手にもなりました。ただ、近年では雪村が作者では無いという説も。皆さまはどう感じるでしょうか。
第3章「奥州滞在 ─ 雪村芸術の絶頂期」、第4章「身近なものへの眼差し」晩年まで旺盛に制作を続けた雪村。後期展示には、八十六歳の年紀がある屏風も出展されます。晩年になっても画力は健在で、雄大な山水、細やかな建物や植物、そして大胆でユニークな人物と、硬軟を取り合わせた作品がいくつも並んでいます。
雪村は江戸時代を待たずに亡くなりましたが、その作品は多くの絵師をひきつけました。画系が異なる尾形光琳をはじめ、狩野芳崖や橋本雅邦らも熱心に雪村の作品を模写。ピーター・F・ドラッカーも雪村作品を所蔵していました。
第5章「三春時代 筆力衰えぬ晩年」、テーマ展示「光琳が愛した雪村」、第6章「雪村を継ぐ者たち」展覧会では「奇想の画家」の元祖として紹介されている雪村。主流に対する非主流が「奇想」だったはずですが、若冲や国芳のおかげで「奇想」がすっかりメインストリームになった感もあります。
雪村が奇想かどうかはともかく、その強い個性は、現代の感性にもピッタリです。大きく前後期、細かく分けると会期は4つになりますので、お目当ての作品の展示期間は公式サイトの
作品リストでご確認ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2017年3月27日 ]■雪村 奇想の誕生 に関するツイート