北陸新幹線開業の記念展でもある本展、
石川県九谷焼美術館、
小松市立博物館、
能美市九谷焼資料館が所蔵する作品を中心に、九谷焼360年の全貌を展観する企画です。
展覧会はまず冒頭に、全6章の代表的な作品を並べました。九谷焼「五彩手」の五色(紺青、緑、黄、紫、赤)と、明治時代に加えられた「金襴手」の金色を各章のテーマカラーとし、床から壁に記されたラインで各章の見どころを紹介します。
展覧会の本編は、古九谷の紹介から。江戸前期に始まった九谷焼は、日本における最初期の色絵磁器のひとつです。古九谷には謎も多く、有田で焼かれた説が有力視されるなど、産地も含めて論争が続いています。
古九谷は50年ほどで断絶。約100年を経た後に、加賀藩によって九谷焼の再興が計られました。第2章では若杉窯で焼かれた日用雑器などが展示されています。
会場冒頭でのダイジェスト展示から、第1章「古九谷の魅力と謎」、第2章「再興九谷 新たな始まり」再興九谷を代表するのが、豪商・豊田伝右衛門が私財を投じた吉田屋窯です。古九谷の伝統を踏襲しつつ、新しい画風も取り入れて高い評価を得た吉田屋窯。「古九谷」という呼称も、「九谷焼」と称した吉田屋窯の製品と区別するために呼ばれるようになったものです。
その吉田屋窯で最高の給金を得ていた名工が、粟生屋源右衛門。源右衛門は小野窯、松山窯などでも技術指導にあたり、後の九谷焼指導者となる人物を数多く育成しました。
源右衛門は陶磁とは思えない作品も多く手がけています。中でも《透彫葡萄棚香炉》は、竹の葡萄棚をリス、トンボ、カタツムリなどが彩る装飾性豊かなデザイン。エミール・ガレが活躍したアールヌーヴォーより半世紀も前に、日本でこのような陶磁が作られていたのです。
最も大きなスペースで紹介されている、第3章「再興九谷 吉田屋窯と粟生屋源右衛門」明治時代に入ると、各窯業地では輸出向けの陶磁器が盛んに作られるようになります。九谷焼もその風を受けて、欧米向けの陶磁を量産。九谷庄三(くたにしょうざ)は西洋から入った顔料を取り入れた「彩色金欄手」を確立して人気を博し、九谷焼は明治20年には瀬戸や美濃を抜いて輸出陶磁首位に躍進しました。
この時期の九谷焼は、精緻な意匠が特徴的。小田清山による《御製細字高台付酒器》は、遠目ではグレーの模様に見える部分に、明治天皇の御製和歌1687首が書かれています。「細かな文字」などと言えないレベルで、どうやって書いたのか驚くばかりです。
第4章「九谷庄三と明治期の輸出陶磁」には、人気の"超絶技巧"がずらり展示後半は、近・現代の九谷焼について。陶芸家として初めて文化勲章を受章した板谷波山が作陶を始めたのは、久谷焼に触れたのがきっかけ。人間国宝の富本憲吉も、昭和初期に九谷で色絵を学んでいます。
現代の九谷焼を代表するのが、三代徳田八十吉。釉薬で群青色の鮮やかなグラデーションを表現した個性的な器は、ご覧になった事がある方も多いのではないでしょうか。
記者内覧会当日には、能美市九谷焼資料館施設長の佐久間忍氏によるろくろ成形実演も実施されました。
第5章「近代の九谷焼」、第6章「現代の九谷焼 三代徳田八十吉」 会場出口で実演も高い知名度を誇る九谷焼ですが、360年の歴史を通覧する展覧会は東京初開催です。ポイントを絞った構成で、華やかな九谷焼の世界をお楽しみいただけます。
ただ、あくまでもここで紹介されるのは九谷焼の一端。より深くその魅力を堪能したい方は、ぜひ石川県にお越しください。足はもちろん、北陸新幹線で。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年7月31日 ]※会場の撮影は主催者からの許可を得ています。
■九谷焼の系譜と展開 に関するツイート