室町時代から幕末まで約400年に渡って日本画壇の中心にあった狩野派。始祖・正信の時代には傍流であり、中央に押し上げたのはまぎれもなく元信の功績です。
絵師としての元信の実力を最初に感じてもらうため、まずは元信と工房による障壁画から。静・動を使い分け、奥行きがある巧みな描写は、掛軸に改装された今でも響いてきます。
続いて、中国の名家たちの作品。足利将軍家が蒐集した中国絵画は人々の憧れであり、漢画の規範でした。後に元信は、彼らの作品を参考に三種の「画体」を創る事となります。
第1章「天下画工の長となる ― 障壁画の世界」、第2章「名家に倣う ― 人々が憧れた巨匠たち」元信の大きな功績が「画体」の確立。書道の楷書・行書・草書に倣い、緻密な構図と描線による「真体」、最も崩した描写である「草体」、そしてその中間にあたる「行体」を定めました。
狩野派の絵師たちは「画体」を学ぶ事で技術を身につけ、集団制作が可能になりました。元信の経営センスが、狩野派を専門絵師集団に変えたのです。会場では作品のプレートに「画体」も表示されています。
第3章「画体の確立 ― 真・行・草」「画体」は漢画からの創案ですが、元信はやまと絵の分野にも進出。人物はやまと絵、山水は漢画と、和漢双方の手法を用いた絵巻も展示されています。
さらに正信や元信は、絵仏師が手掛けてきた仏画も描いています。華やかな色彩・世俗的な表情と、伝統的な仏画とは一線を画す作風です。
集団制作体制・高い技術・幅広いジャンルと、絵師として全てを備えた元信。肖像画や奉納絵馬からは、元信がパトロンを増やしていった事も分かります。
第4章「和漢を兼ねる」、第5章「信仰を描く」、第6章「パトロンの拡大」少なくとも江戸時代においては、歴代狩野派の最高峰は元信。永徳は「元信に勝るとも劣らない」と評され、その名声は明(中国)にまで及んでいました。
それほどの存在でありながら、意外な事に「狩野元信」単独の展覧会は本展が初めて。かなり展示替えがありますので、お目当てがある方は事前に公式サイトの作品リストでご確認ください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2017年9月15日 ]■サントリー 狩野元信 に関するツイート