歌川国芳の門下生である月岡芳年。師匠の国芳も妖怪画を得意としていましたが、芳年はそれ以上。歴史、伝説、小説、芝居などの怪奇的な物語を主題に、数多くの妖怪画を手掛けました。
展覧会は「和漢百物語」と「新形三十六怪撰」を中心に、芳年が手掛けた妖怪画の世界を総覧する企画。まずは初期の妖怪画からです。
数え12歳で国芳のもとへ入門した芳年。本格的にデビューした後も、当初は国芳の影響が顕著です。黒い背景から浮き出る妖怪の描写は、師の作品にも見られます。
第1章「初期の妖怪画」第2章は「和漢百物語」。芳年が数え27歳の時に出版されました。芳年による妖怪を題材とした最初の揃物で、全26図。「和漢」とあるように、日本と中国の怪談がテーマです。
時代は幕末とはいえ、まだ江戸時代(1865年/慶応元年)。若き日の芳年ならではの伸び伸びとした表現が見ものですが、後年に見られるような「芳年ならでは」という作風は、まだそれほど強く無いように思われます。
第2章「和漢百物語」第3章は「円熟期の妖怪画」。明治になると浮世絵の世界も変革を余儀なくされますが、芳年は錦絵新聞、戦争画、美人画、歴史画など多彩な分野で活躍を続けます。
この時期の作品として、よく知られているのが《奥州安達がはらひとつ家の図》。半裸の妊婦を逆さ吊りにして包丁を研ぐ老婆(妊婦は老婆の娘だったというオチもあります)というショッキングな作品は、しばしば芳年自身のイメージと重ねられますが、実際の芳年は賑やかな事が大好き。涙もろくて弟子の面倒見も良い、ごく普通の江戸っ子でした。
第3章「円熟期の妖怪画」第4章が「新形三十六怪撰」。1889~92(明治22~25)年にかけて出版され、幾つかの図は芳年が没した後に刊行されたという、文字通り最晩年の作品です。
後年の芳年は、線(特に衣服)に極端なメリハリが付き、独特のカクカクした描写に。一瞬を切り取った人物の表現は実は見事で、表情が見えにくいポーズからも感情が伝わってくるようです。
第4章「新形三十六怪撰」実は芳年自身がたびたび幽霊を見たという逸話もあり、もともと並外れたデッサン力とデザイン性を兼ね備えた芳年が、自分で見たものを描いているわけですから、出来が悪いわけはありません。
本展に続いて、9月1日からは「月岡芳年 月百姿」。2カ月続きの芳年大特集、芳年好きにとっては、たまらないシーズンが始まりました。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2017年7月28日 ] | | 月岡芳年 妖怪百物語
日野原 健司 (著), 渡邉晃 (著), 太田記念美術館 (監修) 青幻舎 ¥ 2,484 |
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