歌麿が親交のあった栃木の豪商・善野家からの注文を受け、栃木で描かれたと考えられている「雪月花」三部作。1879(明治12)年に栃木・定願寺での展観に揃って出品されましたが、後に三作ともパリへ。《品川の月》はフリーア美術館、《吉原の花》はワズワース・アセーニアム美術館の収蔵となり、行方不明だった《深川の雪》は2012年に再発見されて岡田美術館の収蔵となりました。
本展は、日本では定願寺以来となる2作品の同時展示。フリーア美術館はコレクションの館外貸し出しを禁止しているため、残念ながら三作揃い踏みとはなりませんでしたが、代わりに《品川の月》の原寸大高精細複製画も展示。その雰囲気は十分堪能できます。
では早速《吉原の花》から。吉原、品川、深川ともに江戸時代に人気が高かった遊所ですが、中でも吉原は江戸唯一の幕府公認遊郭。三部作の中でも中心的な作品といえます。
1791~92(寛政3~4)年頃に描かれた、実に華やかな作品。二階にいるのは武家の婦人で、贅沢を禁止した寛政の改革を暗に批判しているとも言われます。
左上の床の間の掛け軸は、人気絵師だった英一蝶による「布袋に唐子図」。右側の天水桶に書かれた町名は桜で微妙に隠し、虚実が入り混じった世界を演出しています。
喜多川歌麿《吉原の花》 江戸時代 寛政3~4(1791~92)年頃 ワズワース・アセーニアム美術館蔵続いて、岡田美術館が収蔵する《深川の雪》。三作の中で縦・横ともに最も大きい、文字通りの超大作です。
このコーナーでも何度かご紹介していますが、中央にS字に人物がレイアウトされた、動きのある構図。右上にいる包みを担ぐ女の姿は、寝具を料亭に運ぶ深川名物「通い夜具」です。
こちらは1802~06(享和2~文化3)年頃の作品、三作では最後、歌麿自身としても最晩年の作品と見られています。
喜多川歌麿《深川の雪》 江戸時代 享和2~文化3(1802~06)年頃 岡田美術館蔵高精細複製画ですが、《品川の月》もご紹介しましょう。品川にある有名な妓楼の二階座敷の様子を、海を見渡す遠近法で描きました。
三作の中では最も早い1788(天明8)年頃の作品。左側の障子に映る男の姿で、夜を徹した遊楽を現しています。
右側の衝立には、同時代の画家・高嵩谷の署名も。三作とも画中画も正確で、歌麿自身が確かな画力を身に着けていた事を物語っています。
(原寸大高精細複製画)喜多川歌麿《品川の月》 原本:江戸時代 天明8(1788)年頃 フリーア美術館蔵歌麿は美人画の錦絵は良く知られていますが、一方で肉筆画の数は少なく、確認されているのは40点ほど。本作もこれほど大きな絵をどのように描き、どこに掛けたのか。多くの謎が残されています。
いずれにしても、138年ぶりに実現した夢の展覧会。充実した特集展示「人物表現の広がり ─ 土偶・埴輪から近現代の美人画まで ─」(ここにも歌麿の肉筆画が2点展示されています)とあわせて、お楽しみください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2017年7月27日 ]■「深川の雪」と「吉原の花」 に関するツイート