松岡映丘(本名・輝夫)は1881年、兵庫県生まれ。上には7人の兄がおり、次男・四男・五男は早世しましたが、長男は医者で町長、三男は眼科医で国文学者・歌人、六男は民俗学者の柳田國男、七男は海軍大佐で言語学者という優秀な学者一家に育ちました。
映丘も東京美術学校を首席で卒業。文展や帝展で活躍するとともに、母校の東京美術学校で教鞭をとり、多くの弟子を育てました。
会場松岡映丘の生誕130周年記念をかねた今回の展覧会は、30年ぶりとなる大規模な回顧展です。
能や歌舞伎でも描かれる「道成寺」や、源氏物語の橋姫の場面に由来する「宇治の宮の姫君たち」など古典を題材にした作品のほか、女優の初代水谷八重子をモデルとした「千草の丘」のように、よりモダンな感性を取り入れた作品など約70点が出展されています。
千草の丘 大正15年(1926)展覧会のメインビジュアルにもなっている「千草の丘」は、完成時(1926年)にも話題になった大作。第7回帝展出品のために描かれたもので、当時21歳のスターだった初代水谷八重子をモデルに「那須野ヶ原を背景に明麗な佳人が立っている」というイメージで作られました。
現代美人としても古典美人としても水谷八重子は最も適しているとして、映丘自身も八重子はお気に入りだったようです。
伊香保の沼 大正14年(1925) 東京藝術大学蔵展覧会には、映丘がわずか6歳で描いたという源義経の模写や、多くの下絵類などの資料も展示されています。
興味を惹かれたのは、写真類。武者絵の参考にするために自らが甲冑を着てポーズをとった写真や、学者一家の五兄弟が揃った際の畏まった写真、一転してリラックスした破顔一笑の一面を見せる妻子を含めた家族写真など、映丘の一面が垣間見えるようにも思えました。
前回の「
磯江毅=グスタボ・イソエ」に続いて、注目の展覧会を連発する
練馬区立美術館。池袋駅から16分(6駅目)と、都心からも意外と近くです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2011年10月14日 ]