首都圏で開催される宮川香山展は、2014年に
神奈川県立歴史博物館で開催された
「眞葛焼 ─ 田邊哲人コレクションと館蔵の名品 ─」展以来。今回は出展100点超という大規模な展覧会です。
京都・真葛ヶ原(まくずがはら)で陶工の家に生まれた宮川香山。京都で家督を継ぎますが、横浜に移住して本格的に「眞葛焼」を始めました。
貿易港ではあっても、陶産地ではない横浜。道具・材料・陶工に至るまで、陶産地なら簡単に入手できるものも、横浜ではそうはいきません。
そんなリスクを冒してまで香山が横浜に出たのは「外人ノ情況ト其意向トヲ考ヘ 海外輸出ニ適スル物ヲ製」するため。その香山の狙いは、見事に当たる事となります。
会場冒頭の「高浮彫」作品は、構成としては2章。1章の初期作品は、まだ穏やかな作風です当時、外国人に人気を集めていたのは薩摩焼。ただ、多くの金(きん)を使うため値段が高く、貴重な金が海外流出する事も好ましくありませんでした。
薩摩焼に代わる輸出向け陶器として香山が考えたのが、陶器の表面を浮彫や造形物で装飾する「高浮彫」です。動植物などさまざまなモチーフを写実的に立体で表現し、器の表面を濃密に彩る斬新な手法でした。
他に類を見ない個性的な作品は、海外で「その価を問わず購入せしめんとす」と言われるほど爆発的にヒット。国内外の博覧会でも受賞を重ね、「マクズウェア」の名は日本陶磁史に燦然と輝く金字塔を打ち立てました。
第2章「高浮彫の世界」香山は高浮彫の人気に溺れる事なく、明治10年代半ばになると新たなスタイルにも挑戦。釉薬と釉下彩の研究を進め、陶器から磁器へのシフトを進めていきます。
ひとくくりに「陶磁器」と言いますが、両者は焼成温度も異なり、似て非なるもの。両方の技術を身につけるのは至難の業ですが、香山は熱心な研究で克服。磁器の作品も海外の博覧会で大いに人気を博しました。
1896(明治29)年には、陶芸分野で2人目の帝室技藝員に任命された香山。ついに陶芸界の第一人者に上り詰めました。
第3章「華麗な釉下彩・彩釉の展開」本展は
サントリー美術館としては珍しく、撮影できるエリアが設けられました(三脚・一脚・自撮り棒・フラッシュは不可)。自由に撮影し、SNSでの拡散を呼び掛けています。
外貨を獲得するために数多く作られた明治時代の超絶工芸の中でも、真打といって良い宮川香山。高浮彫はあまりの密度に、見ているだけでお腹がいっぱいになるほどです。東京展の後は、大阪(
大阪市立東洋陶磁美術館:4月29日~7月31日)、愛知(
瀬戸市美術館:10月1日~11月27日)に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2016年2月23日 ]■没後100年 宮川香山 に関するツイート