噺の上手さは歴代名人の中でも筆頭といわれる三遊亭圓朝。あまりの上手さに師匠が嫉妬し、高座で師匠が自分の演目を先に口演する嫌がらせを受けたため、真似をされないために自作の怪談噺をはじめたという説があります。まさに、圓朝の怪談も「うらみ」がきっかけになったわけです。
会場は、まずはその圓朝の紹介から。自筆本やゆかりの品々のほか、有名な鏑木清方による肖像画(重要文化財)も展示されています(展示は8/16まで)。
なお、本展は会場構成もひと工夫。壁に幽霊が現れたり、恐ろしげな音が響いたりと凝った構成です。
第1章「圓朝と怪談」第2章「圓朝コレクション」からいよいよ本番、中央に蚊帳が吊るされた展示室に、幽霊の軸物(掛け軸)が並びます。
実は圓朝自身も国芳に入門した事があり(病気のために頓挫)、そのコレクションには同門筋の月岡芳年や歌川芳延の作品があります。さらに日本画家の飯島光峨と洋画家の高橋由一とは、浜町梅屋敷に住んでいた頃の近所付き合い。同時代の画家たちと親しく交わる事で、圓朝の幽霊画コレクションは充実していきました。
第2章「圓朝コレクション」第3章は「錦絵による〈うらみ〉の系譜」。錦絵に幽霊が描かれるようになったのは19世紀後半からで、歌舞伎でヒットした怪談物を、芝居絵や役者絵のかたちで描いたものから始まりました。
このジャンルを得意としたのが、歌川国芳。大判三枚続の大画面で迫力ある作品をいくつも描いています。同時代の葛飾北斎も《百物語》シリーズで、個性的な妖怪や幽霊を描写。国芳の弟子である月岡芳年は得意の「血みどろ絵」で、幕末維新の世相を反映した〈うらみ〉を表現しました。
第3章「錦絵による〈うらみ〉の系譜」近代になると幽霊の存在は否定されますが、幽霊画が無くなる事はなく、美人画のひとつとして受け継がれていきます。
血染めの腰巻が印象的な月岡芳年《幽霊之図 うぶめ》は、艶めかしい背中は美人画そのもの。松岡映丘《伊香保の沼》も美しい娘を描いていますが、実は蛇身に変化する直前の姿です。
この章では他に般若などの能面や、道具入り怪談噺で使われた仮面も展示されています。
第4章「〈うらみ〉が美に変わるとき」展覧会は細かく4期に分かれていますが、8月16日(日)までと8月18日(火)からで大きく展示替え。メインビジュアルで紹介されている上村松園《焔》は9月1日(火)からの展示です。
公式サイトの出品作品リストに展示替え情報がありますので、ご確認の上お出かけ下さい。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年7月21日 ]