奥深い作風は日本人の感性にも合うのか、日本では戦前から受容されてきたクレー。戦後になると1961年に西武百貨店で開催された大規模展を皮切りに、多くの展覧会が開催されました。宮城、新潟、愛知など国内のコレクションも多く、本展会場の
宇都宮美術館も作品を所蔵しています。
クレーは自身の作品にランクを付けていました。中でも「特別クラス」と指定した作品は売却せずに手元に置いていた逸品で、本展では40点の「特別クラス」作品が出展されているのも特徴的です。
展覧会は6章構成。まず、クレーがしばしば作品に残した記号的なモチーフのうち、音楽記号に由来する「フェルマータ」と「ターン」、そして「矢印」が記された作品が紹介されます。
第1章「何のたとえ?」 台紙の隅に「SKI」「SCI」等と書き込まれているのが「特別クラス」クレーの作品には、複数の存在が一体化しながら描かれていることがあります。
顕著な例が、1910年に描かれた《裸体》。画面を90度横に倒すと、小さな人物像が見てとれます。会場では赤外線写真も紹介されていますが、下側の層に描かれた絵は肉眼でもクッキリ。その存在が分かるように、意図的に「半ば見えるかたち」として残しているのです。
第2章「多声楽(ポリフォニー) ─ 複数であること」デモーニッシュ(魔的)な存在も、クレーを読み解くキーワードのひとつ。第一次世界大戦で徴兵された経験も、作品世界に顕著な影響を与えています。
十字架モチーフが散見される《窓辺の少女》と《墓地》は、元は大きな一枚の作品。少女の視線の先には、お腹が大きな女性の死体が横たわっていました。さらに、裏側にも別の絵が描かれており、一見では穏やかそうに見える作品の中に、さまざまな意図が秘められているのです。
第3章「デモーニッシュな童話劇」第4章では、色面で分割された作品などを紹介。クレーは1923年以降、方形の色面のみで構成された「方形画」あるいは「魔法陣」と呼ばれる作品を描きました。
画中に「X」や「K」など文字的な要素を加えたものや、児童画のように太く簡素な線描で描いた晩年の作品もこの章で紹介。構成的な要素が強く、まさに謎に満ちた作品が並びます。
第4章「透明な迷路、解かれる格子」27歳で結婚したクレー。翌年には長男が誕生しますが、一家の生計はピアノ教師である妻が支え、クレーが家事と子育てを担当していました。
クレーは子どもを、生まれる前と死者の「中間世界」にいる存在として捉えていました。子どもを描いた作品も、愛らしさより異様さの方が目に留まります。
第5章「中間世界の子どもたち」展覧会最後はクレー作品の「可笑しみ」を象徴する、不完全で無力に見える者たち。晩年に描いた、太い描線による正体不明の生き物など、ユニークな作品が並びます。
会場に一番最後には、戸棚を描いた作品。赤い扉の向こうは、クレーの世界に繋がっているのかもしれません。この作品を描いた1940年に、クレーは心筋症による心臓麻痺で死去。享年60歳でした。
第6章「愚か者の助力」決して分かりやすい絵画とは言えませんが、見る人それぞれの解釈で楽しむ事ができるのもクレーの魅力。東京では開催されませんので、宇都宮まで足を延ばしてお楽しみください。
宇都宮展の後は、
兵庫県立美術館(9月19日~11月23日)に巡回します。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年7月14日 ]■パウル・クレー だれにも ないしょ。 に関するツイート