三菱一号館などを設計したジョサイア・コンドルは、1877(明治10)年に「お雇い外国人」として来日。「日本近代建築の父」と称される活躍の一方で、コンドルは日本文化にも親しみを持っており、生け花から落語、日本舞踊まで、幅広く関心を寄せていました。
コンドルが暁斎に入門したのは1881(明治14)年、2年後には「暁英」という号を授けられるまで腕をあげました。
本展の前半は、コンドルと暁斎の交流や、コンドルの画業や日本研究について。暁斎は21歳年下のこの英国人を可愛がり、友人関係のような付き合いを続けました。
会場前半 コンドルによる《Kiyosai Sensei. at Nikko. Augst 5th》は後期からの展示です3階最奥の大きな展示室は、第4章「暁斎とコンドルの交流」。暁斎作品の本格的な紹介はこの章からです。
生前から戯画で人気が高かった暁斎。歌川国芳の門下生なのでいかにも、といった感もありますが、実は国芳門下で学んだのは、数えで7歳からわずか2年ほど。その後狩野派に学びましたが、狩野派のスポンサーである幕府や大名は凋落していたため、戯画の制作が主流になった、というのが実像です。
会場を進むと、その力量が「狂画(戯画)の暁斎」に留まらないのは一目瞭然。どんなジャンルでもそつなくこなす、異例の天才絵師でした。
Ⅳ「暁斎とコンドルの交流」狩野派ゆかりの正統的画風としては、道釈人物画や山水画に優品が出品されていますが、ここでは「いかにも暁斎」という作品《月に狼図》をご紹介したいと思います。
上部には墨のボカシで妖しく光る月。荒々しい筆致で描かれた狼が咥えるのは、唇が取れ、歯茎と歯が剥き出しになった人の生首です。
数えで9歳の時、梅雨で増水した神田川で生首を拾って写生をし、周囲の大人を吃驚させたという伝説を持つ暁斎。冷静な観察眼と驚くべき想像力によって、あまりにもインパクトが強い作品に仕立てています。
Ⅴ-5「動物画」最後の展示室で紹介されているのが、美人画。暁斎の美人画は人気があり、地獄太夫を描いた作品などはいくつかのバージョンが存在します。
中でも目をひくのが、最奥に並ぶ《横たわる美人に猫図》と《美人観蛙戯図》。ともに動物を眺める美人ですが、憂いを帯びた女性の表情はかなり個性的です。パワフルな作品はもちろんですが、一見穏やかなこの手の画題からも、暁斎の高い力量が見てとれます。
Ⅴ-9「美人画」弟子であるコンドルとの関係をベースにした展覧会のため、コンドルが設計した
三菱一号館美術館のみでの開催。会期はすでに後期に入っています。金曜日は20時まで観覧できますので(他の曜日は18時まで、いずれも入館は30分前まで)、お見逃しなく。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年8月4日 ]■画鬼・暁斎 に関するツイート