日本で絶大な人気を誇るユトリロはよく展覧会が開かれますが、ヴァラドンとあわせた企画は2000年~01年の「ユトリロとヴァラドン」展以来。数奇な運命に翻弄された二人の作品を、本展では時系列で紹介していきます。
1865年生まれのスュザンヌ・ヴァラドン、父親は分かっていません。空中ブランコから落下して曲芸師を辞めた後、モデルに。シャヴァンヌやロートレック、ルノワールや著名な画家に描かれるうちに、自らも絵の道へ進む事となります。
持ち前の美貌で多くの男性と浮き名を流したヴァラドン。18歳でユトリロを生みますが、こちらも父親は分かっていません。恋愛と仕事に忙しい母にユトリロはあまり構ってもらえず、孤独感からアルコール依存症に。治療の一環としてはじめたのが絵画でした。
第1章「ヴァラドンとユトリロ、ふたりの芸術家の誕生」一時は実業家と結婚していたヴァラドンですが、44歳の時に息子の友人・ユッテルと恋に落ち、後に結婚します。21歳年下の再婚相手との生活はヴァラドンの絵画にも活力を与え、それまでの淡い色彩から力強いタッチに変化。パリで個展も開催するようになりました。
一方のユトリロは母の再婚により、義父の金銭的援助・母の愛情・ユッテルとの友情を同時に失い、ますますアルコール依存へ。ただ、その作品は次第に評価を集めるようになり、義父になったユッテルのマネージメントにより、白い漆喰のモンマルトルの風景を数多く描きました。
第2章「ヴァラドンの再婚とユトリロの『白の時代』」ヴァラドンは1920年代に円熟期を迎え、裸婦、肖像、静物、風景などさまざまな画題に挑戦。作品はパリ以外の展覧会にも出品されるようになり、研究書も出版されました。
ユトリロはアルコール依存症の治療のためにフランス東部へ。作風も変容し、塗りが薄くなる一方で色彩は豊かになりました。人気は相変わらず高く、1928年にはレジオン・ドヌール勲章を受章するまでに至りました。
第3章「ヴァラドンの円熟期とユトリロの『色彩の時代』」ヴァラドンは1932年、パリの最も大きな画廊のひとつジョルジュ・プティ画廊で大回顧展を開催。カタログにはフランスの首相が序文を寄せています。1938年にアトリエで倒れ、病院へ搬送される途中で死去、72歳でした。
ユトリロは母の死に大きなショックを受け、葬儀にも参列できなかったほど。晩年は絵を描く事よりも祈る事が多くなりました。
会場最後には、母ヴァラドンの写真を見つめるユトリロのポートレートがあります。ユトリロは61歳頃、写真の母は45~50歳のはずですが、大きな瞳が印象的な美貌は相変わらず。ユトリロはこの写真の前を通る時に、必ず祈りを捧げていたそうです。
第4章「晩年のヴァラドンとユトリロ」本展は全国巡回。東京展の後は広島(
ひろしま美術館:7月11日~8月30日)、京都(
美術館「えき」KYOTO:9月11日~10月18日)、佐賀(
佐賀県立美術館:10月24日~12月6日)と廻ります。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年4月17日 ]■ユトリロとヴァラドン 母と子の物語 に関するツイート