展覧会のキャッチコピーは「世田谷は日本のハリウッドだった!」。確かに、数々の名作映画が世田谷の東宝スタジオから生まれていることは、意外と知られていないかもしれません。
戦前から近年までの東宝スタジオの歩みを振り返る本展。エントランスからいきなりゴジラが登場する楽しい構成で、館内が映画一色に染まります。
VIDEO エントランスのゴジラは大迫力 ©TOHO CO.,LTD. 黒澤明監督の代表作で、ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞に輝いた「七人の侍」。本多猪四郎が監督、特殊技術を円谷英二が手掛け、日本の怪獣映画の元祖といえる「ゴジラ」。同じ1954年に公開された両作品は、ともにその後の日本映画に大きな影響を与えました。会場では両作品を紹介した後に、時代順に進みます。
東宝スタジオの前身の写真化学研究所(PHOTO CHEMICAL LABORATORY、略称 P・C・L)は、トーキー化を推進。後に映画製作会社としてP・C・L・映画製作所が設立され、1937年には東宝映画が誕生。1943年には現在の東宝株式会社となり、東宝東京撮影所は日本の映画産業を牽引していく事となります。
VIDEO 会場入口から 戦後は大規模な労働争議で「来なかったのは軍艦だけ」と言われる大混乱に陥りますが、1948年に労使が妥結。1950年~70年に、砧撮影所は黄金時代を迎えます。
1951年、黒澤明監督の「羅生門」がヴェニス国際映画祭でグランプリを受賞。成瀬巳喜男、豊田四郎、稲垣浩、そして本多猪四郎と円谷英二ら、多くの監督が東宝撮影所で活躍。次々に名作が生まれました。
興行的にも森繁久弥の「社長シリーズ」と「駅前シリーズ」、加山雄三の「若大将シリーズ」、ハナ肇とクレージーキャッツの「クレイジー映画」など、シリーズ映画が大ヒット。58年の最盛期には日本の映画人口は11億人と、全国民が1カ月に1度は映画館に足を運んでいた事となります。
VIDEO 「砧撮影所の黄金時代 1950年-1970年」 テレビの普及や洋画の台頭で、徐々に活力を失っていった日本の映画界。東宝撮影所も苦難の時代に入りますが、2000年代に入ってシネコンが増加すると、撮影所も新しい時代に入ります。
2003年には100億円を投入して、所内の約90%をリニューアル。都心から近く敷地も広いスタジオの立地を活かし、東宝作品だけでなく他の会社の映画製作も手掛けるようになりました。
近年は、東宝自主製作の作品も拡大しており、昨年は「永遠の0」が大ヒット。今年8月には「進撃の巨人」の公開が控えています。
VIDEO 「東宝撮影所から東宝スタジオへ 1971年-2015年」 企画展と連動して、2階展示室では「世田谷に住んだ東宝スタジオゆかりの作家たち」も開催中です。
東宝作品の映画にも多数出演した女優・高峰秀子旧蔵の絵画や、洋画家の宮本三郎が描いた新珠三千代、淡島千景、香川京子などの作品、また東宝映画の美術監督としても活躍した久保一雄をはじめ村山知義、瀧口修造など、東宝スタジオで映画の現場な関わった美術家たちの作品などを紹介しています。
VIDEO 2階展示室の「世田谷に住んだ東宝スタジオゆかりの作家たち」 会場では名作映画の予告編も上映中。「七人の侍」と「ゴジラ」はもちろん、「生きる」「日本いちばん長い日」「モスラ」「日本沈没」「悪魔の手毬歌」「駅 STATION」「永遠の0」まで、全29作品です。時間に余裕をもって、お越しください。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年2月26日 ] ■東宝スタジオ展 に関するツイート