日本画家・北野恒富の門下生だった小田富弥。師匠から辿ると歌川国芳 ─ 月岡芳年 ─ 稲野年恒 ─ 北野恒富 ─ 小田富弥という流れになります(雅号が一文字づつ継がれています)。
急病になった岩田専太郎のピンチヒッターとして描いた挿絵が好評で、いつの間にか挿絵が本業に。当時は大衆文学が花を開きつつあった時代で、小田富弥は花形挿絵画家として活躍しました。
得意のジャンルが、各地を流れ歩く博徒を主人公にした「股旅もの」。縞の合羽に三度笠、世間から疎外された一匹狼のアウトローを、躍動感あふれる筆致で描きました。
会場大衆文学のヒーローで、冷酷非情な殺人鬼・丹下左膳。林不忘(はやしふぼう:1900-1935)の伝奇小説に登場する虚構の剣士は、当初は脇役の一人でしたが、隻眼・隻眼の特異なキャラクターで読者の圧倒的な人気を掴みました。
丹下左膳の「黒襟をかけた白紋付の着流し」という目立つ装束は、実は小田富弥が考案したもの。後に大河内傳次郎らが演じた映画にもこのスタイルは踏襲され、丹下左膳のイメージを決定づけました。
丹下左膳については、失敗のエピソードも。連載20回目に描いた昼寝姿の左膳に小田富弥はうっかり両腕を描いてしまい、読者からは問い合わせの手紙が殺到したそうです。
小田富弥が描いた丹下左膳。動画の最後が、うっかり描いてしまった「両腕の左膳」1940(昭和15)年に出版された「小田とみや画集 殺陣篇」は、興味深い資料。天保水滸伝、曽我兄弟、近藤勇など15種類の殺陣の描き方を解説した見本帖で、描き方の解説書も付いています。現代なら「マンガの書き方」といったところでしょうか。
会場には実際のスケッチや習作も展示されており、創作のプロセスも垣間見る事ができます。
「小田とみや画集 殺陣篇」など中一弥・木俣清史・野口昴明ら、多くの門下生を育てた小田富弥ですが、戦中・戦後は徐々に挿絵への興味を失い、日本画に回帰していきます(一時、小田富弥邸には奥村土牛が同居しており、日本画制作に取り組む土牛の姿に影響を受けたともいわれます)。
晩年には美人画を楽しみながら描き、1990(平成2)年に94歳で死去。亡くなる3日前の書簡にも創作についての記述があるなど、絵とともに一途に歩んだ生涯でした。
戦中・戦後の創作隣接の
竹久夢二美術館では「竹久夢二と乙女のハイカラらいふ展 ~大正時代の女学生・職業婦人・淑女たちの憧れ~」も開催中。大正ロマンの女学生、評判になった美輪明宏さんの締め言葉「ごきげんよう」の世界がお楽しみいただけます。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2015年1月6日 ]■小田富弥展 に関するツイート