1958年にマルサン商店が初の国産プラモデルを発売して以来、各社が追随して大きなブームになったプラモデル。当時の少年の心を掴んだのは、プラモデルの箱に描かれた迫力あふれる完成形のイラスト(ボックスアート)でした。
日本のボックスアートはレベルが高く、巨匠と呼ばれるアーティストも何人かいますが、そのひとりが髙荷義之さんです。1963年に今井科学(後のイマイ)の1/50スケール「日本名機シリーズ」零戦52型丙を手掛けたのを皮切りに、タミヤ、ニチモ、フジミ、ピットロード、童友社と、多くのメーカーのボックスアートを手掛けています。
会場にはボックスアートがずらり髙荷さんの真骨頂は「戦車画」。作画に際して対象を徹底的に調査し、色彩や形状はもちろんのこと、ボルトの1本1本に至るまでこだわりを持って丁寧に描きます。重量感あふれる鋼鉄の表現は、他の追随を許しません。
また、戦車だけでなく背景描写も秀逸。荒れた大地、炎上する建物、緊迫した表情の兵士など、想像力豊かに臨場感あふれる場面を描きます。
発売後に戦車以外の人物や兵器を削除した珍しい資料も含め、会場には数々の戦車画が並びます。
臨場感あふれる「戦車画」の数々会場2階には、初期の作品も紹介されています。
髙荷さんは、群馬県前橋市生まれ。物心ついた時から絵が好きで、伊藤彦造らの挿絵を熱心に模写していました。県立前橋前橋高校卒業後に挿絵画家を目指し、小松崎茂の門下生に(ただ、内弟子生活は半年ほどでした)。独立後に小学館の少年誌の挿絵でデビューすると、確かな描写力で活動の場を広げ、学習読み物、冒険小説など、多くのジャンルで活躍しました。
1961年頃から、少年雑誌には戦記ブームが訪れます。雑誌の巻頭で、第二次世界大戦に使われた兵器や戦艦の特集が組まれ、表紙や口絵にも戦闘機や戦車が描かれました。髙荷さんは流行の追い風も受け、多くの少年誌で活躍しました。
初期の作品や、少年誌の表紙画など会場後半では、近年の仕事も紹介されています。
髙荷さんにとって新しい挑戦となったのが、ロボットアニメをモチーフにしたイラスト。描く対象を入念に調べてから絵を描いていた「戦車の髙荷」にとって、架空のメカを描く事に最初は戸惑ったそうですが、キャラクターを設定したメカデザイナーの協力もあって、その世界観を理解すると、実在の兵器と同様に迫力あふれる描写を実現。平坦な表現が多かったアニメファンに衝撃を与え、新境地を開拓しました。
さらに、ゲームのパッケージアートにも進出。ボードウォー・シミュレーションゲームや、PC用のシミュレーションゲームやRPGなど、さまざまなゲームの箱絵も手掛けています。
近年の作品取材に伺ったのは会期初日。平日にも関わらず、朝早くから多くの熱心なファンが来館していました。展覧会にあわせて書籍も刊行、近日発売予定です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年10月3日 ]©創通・サンライズ