100を超える観音像が伝わる長浜市。平安期に天台宗が勃興、室町期には新仏教(浄土宗・曹洞宗・浄土真宗・時宗など)が勢力を伸ばし、戦国時代には天台寺院は衰退と、時代が大きく変わる中でも、この地の人々は宗派や宗旨の枠を超えて観音像を慈しんできました。
特に「近江を制する者が、天下を制す」と言われた戦国時代には、何度も大きな戦乱に巻き込まれましたが、その度に、ある時は川底に沈め、ある時は地中に埋めて、観音像は大切に守り伝えられました。
会場極楽往生を助ける阿弥陀如来に対し、観音菩薩は現世利益をもたらす存在。手が届かない崇高なものというよりは、庶民の暮らしに近い仏像です。
本展には18軀の観音像が出展され、うち3点が国指定の重要文化財、9点は長浜市指定文化財という、大変貴重なラインナップになりました。
会場展覧会のメインビジュアルになっているのが、重要文化財《千手観音立像》(日吉神社(赤後寺)・高月町唐川)。もとは頭上に11面、腕が42本ある典型的な観音像と思われていますが、大きく損傷しています。
地元では、厄を転じて利をほどこす像として信仰されており、参拝すればコロリと彼岸に行ける「コロリ観音」として親しまれています。
重要文化財《千手観音立像》(日吉神社(赤後寺)・高月町唐川)さらに損傷が激しいのが《菩薩形立像》と《如来形立像》(ともに安念寺・木之本町西黒田)。その姿からでしょうか、「いも観音」と呼ばれています。
織田信長の兵火で被災した際、村人がいち早く運び出し、門前の田の中に埋め隠して焼失を免れた「いも観音」。「夏には子どもたちが川の水遊びで持ち出していた」というエピソードは、観音像と庶民の近さを物語っています。
《菩薩形立像》と《如来形立像》(ともに安念寺・木之本町西黒田)観音信仰は今でもこの地に息づいており、造形的な巧拙や損傷の有無を超えて、自分たちの村のホトケに限りない誇りと親しみを持っています。
展覧会はわずか3週間ですが、長浜の人たちにとっては「たった3週間」ではなく、「3週間も」という感覚でしょう。庶民とともに歩んできた観音文化を振り返る、貴重な機会です。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年3月20日 ]