開港まもない明治3年に、横浜に移住してきた京都・眞葛原出身の陶工、初代宮川香山(みやがわこうざん)。京都から職人を呼びよせ、1000坪もある巨大な敷地に、素地成形から仕上げまで一貫して行う窯場を整えました。
香山が考えたのは、外国で通用する日本ならではの輸出用陶磁器。江戸時代から続く繊細で華麗な上絵金彩に、大胆な立体装飾を施す「高浮彫」を開発し、内外の博覧会に出品しました。
会場入口からその最大の魅力は、息苦しくなるほどの濃密な装飾です。
花瓶の外側に極端に張り出した鳩。えぐるように内側に彫りこまれた洞の中まで施された細工。遠目にはゴツゴツした筒に見える花瓶には、茸を採る人の姿…。
日本の生活に合うものではありませんが、その華麗な形態はジャポニスムに沸く欧米諸国で爆発的にヒット。「MAKUZU」の名は、一躍世界に広まりました。
超絶技巧の数々今回展示されている一連の高浮彫は、近代輸出陶磁器の収集家・研究家である田邊哲人氏のコレクションです。
神奈川県立歴史博物館が初代香山の一部作品の寄託を受け、常設展示で少しづつ公開していますが、これだけまとまった形で紹介するのは初めてとなります。
常設で展示する中で、特に人気があるのが《高浮彫牡丹に眠猫覚醒蓋付水指》。蓋につけられた猫は、愛らしいというより恐ろしげな雰囲気もあり、小林清親の絵に出てきそうです。
《高浮彫牡丹に眠猫覚醒蓋付水指》精巧な装飾が特徴の高浮彫の最大のネックは、その生産効率の悪さ。注文してから何年も待たされたという逸話も残っています。
流行の変化も受けて、香山は明治10年代後半からは釉薬の研究に没頭。鮮やかな発色や、微妙なグラデーションの表現に成功し、以後の眞葛焼はそちらが主流になったため、超絶高浮彫が作られたのはわずか10年ほどでした。
初代香山の死後、眞葛焼は二代・三代が受け継ぎましたが、横浜大空襲で窯が被災。その歴史に幕を下ろしています。
明治中盤以降は、「ふつうの」焼き物になりました高浮彫の作品を間近で見ると、伸ばした蛙の足、桜の枝、風神雷神の襷など、あえて細い部分を浮かせるように作っており、陶芸の第一人者であった香山の矜持がひしひしと伝わってくるようです。
時代の変革期に狂い咲きしたような、異形のやきもの。展示点数は決して多くありませんが、度胆を抜かれること間違いなしです。
[ 取材・撮影・文:古川幹夫 / 2014年1月14日 ]