北斎は1760年生まれで1894年没、暁斎は1831年生まれで1889年没と、両者の年齢差は71歳。北斎は数えで90歳まで生きた「画狂老人」だったため、二人の生涯は重なる部分はあるものの、両者の直接の関係を示す資料は見つかっていません。
ただ、日本の浮世絵がヨーロッパにもたらされた19世紀末に、熱狂的なジャポニスム・ブームの中で「暁斎は北斎の弟子」の伝えられたことがありました。
それは事実ではないのですが、ヨーロッパの人にとって、二人の作品には類似する印象があったのかも知れません。本展では今まで比較されることが少なかった二人を、特に「漫画」に着目して構成した企画です。
展覧会ではテーマ別に両者を比較して紹介。こちらは「動物」の比較です。北斎の作品では「富嶽三十六景」に次ぐ知名度がある「北斎漫画」。欧米でも早くからホクサイ・スケッチとして知られ、ユーモラスでリズミカルな動きの人々が数多く描かれています。
北斎漫画は全部で15編が刊行された人気シリーズですが、実は最後の第十五編が刊行されたのは明治11(1878)年と、北斎が没した29年後。それほど高い人気があったのです。
葛飾北斎《北斎漫画》暁斎も絵本を書いており、最後の「北斎漫画」が刊行されてから3年後の明治14(1888)年に、「暁斎画譜」「暁斎楽画」「暁斎鈍画」「暁斎略画」そして「暁斎漫画」などが刊行されています。
とうの昔に亡くなった絵師の絵本が出るぐらいなら、俺だって…と思ったかどうかは定かではありませんが、暁斎も人々の営みやポーズを取る骸骨などを、巧みに描きました。
骸骨はカエルと並んで、暁斎が好んだモチーフ。例の人気海賊漫画の音楽家のモデルはこれ?個人的に目をひいたのが、「躍動する身体」の章で展示されていた河鍋暁斎の《「暁斎画談 内篇」巻之上》。「河鍋暁斎筆 着服図法」と書かれたスケッチで、墨で裸体を描き、その上に朱色で服を着せています。
このような描き方は、同じ太田記念美術館で開催された「没後120年記念 月岡芳年」展でも紹介されていました。ちなみに月岡芳年も河鍋暁斎も、同じ歌川国芳門下です。
河鍋暁斎《「暁斎画談 内篇」巻之上》肉筆画に多くの秀作を残していることもあり、漫画はあまり紹介されていなかった河鍋暁斎。ユニークな一面と同時に、その正確な描写力も改めて堪能できる展覧会です。
河鍋暁斎の関連展としては、三井記念美術館で
「河鍋暁斎の能・狂言画」(4月20日~6月16日)、国立能楽堂資料展示室で「世も盡きじ―三井家の能・暁斎の猩々―」(4月19日~6月13日)も開催中です。(取材:2013年4月26日)