14歳でオーストリアからフランスに嫁ぎ、フランスの民衆に熱狂的に迎え入れられましたが、革命の荒波に飲まれて刑死したマリー・アントワネット。
37年の生涯を振り返る本展では、優雅で華やか、かつ驚きに満ちた宮廷生活が紹介されます。
会場展覧会の構成は、以下
「プロローグ ~ハプスブルクからフランスへ、14歳のプリンセス~」
「ベルサイユの華 ~フランスが恋した王妃~」
「彼女の愛した美」
「はかなく散った永遠の王妃」
マリー・アントワネットの顔は「ハプスブルク家の顎」といわれる小さめの受け口が特徴的。版画や肖像画、彫像からもうかがえます。
会場インテリアやファッションへの関心が強かったマリー・アントワネット。邸宅は自分好みに改装し、家具も最新のスタイルにこだわりました。
ファッションは専属のスタイリストに毎年170着のドレスをオーダー・メイド。当時のドレスは現存していませんが、会場には絵画を元に再現したドレス5着を展示されており、このコーナーは一般の撮影も可能です。
この部屋は一般の撮影も可能です豪華なドレスもさることながら、驚くべきはそのヘアスタイルです。当時は髪を高く結い上げることが流行していましたが、パリの有名な美容師であるレオナール・オーティエは奇抜な髪型を次々に考案。果てはイギリスと戦った軍艦の模型を頭の上にあしらいました。
冗談のようなヘアスタイルの貴婦人たちは、その髪型が崩れないように、馬車の中では席に座らずに床にひざまづいていたといいます。
軍艦「ベル・プル(美しき雌鳥)」のヘアスタイル(復元)マリー・アントワネットへの民衆の反感は徐々に強まり、赤字夫人と糾弾されるようになります。「首飾り事件」で王家の威信は地に落ち、伝説の化け物として風刺画で揶揄されるまでに。最期は逃亡を画策するも失敗、形ばかりの裁判を経て断頭台の露と消えました。
王族の暮らしが庶民と違うのは当然であり、彼女の浪費だけがフランスの財政を破綻させたわけではありませんが、民衆を革命に向かわせるほど、そのライフスタイルが注目を集める人物だったことは間違いないようです。
なお、ちょうど横浜展の開催期間中に、マリー・アントワネットの誕生日(11月2日)と命日(10月16日)を迎え、この日はバラを持参して顕花すれば入館無料になります。(取材:2012年9月25日)
©La Vie de MARIE-ANTOINETTE2012-13