ひと口で‘70年代’と言っても、その様相は様々。学生運動の余波が残る前半と、オイルショックを経て低成長期に入った後半では、世相もかなり異なります。ただ、現在よりもアグレッシブだったことは確か。熱意と活力に満ちたクリエイター達は、挑戦的な表現を次々に発表していきました。
美術、デザイン、建築、写真、演劇、音楽、漫画など多彩なジャンルでこの時代を振り返ろうという本展。会場には若い人の姿も多く見られました。
会場入口で放映されているのは、粟津潔の実験的な映像《ピアノ炎上》(1973年)。消防服姿の山下洋輔が炎上するピアノを演奏した伝説的なパフォーマンスです。
この時代を紹介するのですから、展示方法も一筋縄ではいきません。驚かされたのは、配管スペース(本当のバックヤード)に「天井桟敷」の関連資料を展示したコーナー。こんな場所を展示に使うのは前代未聞と思います。
配管スペースで展示されているのは、「市街劇ノック(天井桟敷)」関連資料この時代をリードしていたのは、紛れもなく若者です。若者文化を後押しする魅力的な雑誌も次々に創刊されました。
1973年に「WonderLand」として創刊された「宝島」。1976年創刊の「POPEYE」、そして「BRUTUS」「Olive」。会場には創刊号やロゴの原画などが並んでいます。
「WonderLand」~「Olive」70年代も後半になると、軽やかな空気が主流となってきます。華やかな消費生活の中心的な役割を果たしたのが、西武百貨店を中心とした「セゾン文化」です。
「不思議、大好き。」「おいしい生活」など糸井重里の名コピーは、今でも強く印象に残ります。
セゾン文化のポスター数々会場後半には「70年代中頃のデザインの勉強している大学生の自室」をイメージした部屋の再現もあり、中に上がってみることができます。
机の横にはLARKの円筒型ゴミ箱、木製のテニスラケット、窓の上の小棚にはマッチ箱のコレクション。部屋にはケータイやパソコンはもちろん、テレビも無し。個人で楽しむメディアは深夜番組などのラジオ放送が主力でした。
「70年代中頃のデザインの勉強している大学生の自室」の展示展覧会は、1982年に開館した埼玉県立近代美術館の資料の展示で終わります。建物を設計したのは黒川紀章、ロゴのデザインは田中一光です。
黒川のメタボリズム建築「中銀カプセルタワービル」は72年の竣工、田中は75年にセゾングループのクリエイティブディレクターに就任と、70年代にも大きな足跡を残した二人ですが、黒川は2007年、田中は2002年に亡くなりました。(取材:2012年9月15日)